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サシミ【掌編】974字

その光景を見て俺は地獄に足を踏み入れたんじゃねーかと思ったね。

俺は某国に旅行に来ていた。しがない一人旅さ。

別に目的はない。時間とわずかばかりの金があったんで、気まぐれで足を運んだまで。

飯もその辺の屋台で食っていた。自慢じゃないけど腹は強い方だからね。

今日の晩飯は何にしようかなとブラブラしていると……。

「ニホンジンデスカ?」色黒の男に声をかけられた。

そうだと答える。

「サシミ、サシミ好きデスカ?」

好きだと答える。

「ヒミツのサシミあります」

怪しさしかなかったが、暇をしていた俺はついて行くことにした。

野菜市場、その奥の魚介市場、しかし男は立ち止まらない。

魚介市場を抜け、肉売り場、さらに奥。すでに市場は終わり、倉庫街のような所まで来た。

少し不安になって来た頃、男は1つの倉庫の前で立ち止まる。

薄汚れた扉を開ける――。

ぼやけたオレンジ電球の下、1頭の牛が解体されていた。

既に牛は事切れていたが、ほんの数分前まで生きていたように思えた。

この国では牛は大事にされており、公に食べることはない。しかし、物好きがこうやって隠れるように牛を殺し金で買い食べているのだ。

その中でもさらに物好きが刺身で食う。

俺も規制前はよく牛刺しを食べたもんだが……。

気づくと、さきほどの男が赤身の切れ端と黒っぽいタレを持って立っている。俺にも食えと勧めてきた。

俺は夢中で食った。久々の生の肉。爽やかな風味が口に広がる。当然足りずに牛の元に行く。

よく見ると牛は上半身だけであった。臓物の臭い部分は取り除かれてあった。が、臓器の上の方は残っている。そして、レバーらしき部位も。

解体している男に指で合図する。

取り出してもらうと、その牛のレバーはひと抱えもあった。俺はそのままかぶりついた。俺はレバ刺しに目がなかった。

解体男や色黒男が何か言っている。口の脇からは血がしたたっている。

さっきまで生きていた新鮮な牛。臭みはなく甘味がある。新鮮な血の匂い。たまらない。

俺はこんな異国の地で何をしてるんだ。汚い倉庫で立ちながら牛の臓物ぞうもつを食らう。口周りだけではなく首筋まで血まみれだ。異国人の2人に俺はどう見えている?

何故か笑えてきた。笑いが止まらない。口からはさらに血がこぼれる。笑いが止まらない。別におかしいわけじゃない。

倉庫には俺の笑い声だけが響き渡る。こんなに声を出して笑ったのは久しぶりだ。


2020年12月



見出し画像にお写真をお借りしました。


なんか自分で読み返してウェッとなりました。血は苦手です。見るのも食べるのも。

爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!