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VR砂浜物語【掌編】4,358字

 一直線にのびる白い砂浜。平行する海や空。果てなく続く海岸線。この砂浜をずっと歩いていっても終わりはない。永遠に続くといっていい。

 新卒で就職した時には長く終わりのない道だと思っていたが、振り返ると一瞬だった。サラリーマン時代の私には常に課題や目標があった。時にそれは辛いこともあったが、走り続けるいい道しるべになってくれた。我ながら満足のいく40年間だったと思う。

 定年退職を迎えた私の前には新たな道がのびている。しかし、この道には何の道しるべもない。世間では年寄りに分類されるだろうが、自分ではまだ若いつもりでいる。走った方がいいのであれば走ったっていい。しかし、何に向かって走ればいいのだ。

 この砂浜は代り映えのない景色がずっと続いているのだと思っていた。しかし、同じように見えて一歩一歩違う表情を見せてくれた。波打ち際には貝殻や海藻などが流れ着いている。異国の空き缶や手紙の入った空き瓶なんかもある。たまに波が足元までくる。波の強さも音も一様ではない。

 走り抜けた半生だったが、これからはこんな景色を見ながらあてもなくのんびりと歩いていくのだろう。若い時にイメージした年寄り像そのままだ。永遠に続くこの道を延々と……。

 昔、部下が「永遠」と「延々」を混同していたので注意したことがあった。文法的に「永遠と」は間違いである。「延々と」が正しい。永遠は無限、延々は有限、と区別されることもある。そういう意味であれば、これからの私の道は延々と続くのであろう。長く見えるが終わりはくる。それに延々はネガティブな意味合いで使うことが多い。そういう意味でもふさわしいだろう。

 一般的に永遠は時間の継続について使う表現である。この砂浜が永遠に続くと表現するのは間違いかもしれない。しかし、この場合はどうだろうか。時間を超越しているのではないだろうか。仮に100年走ったとしてもこの砂浜に終わりはない。しかし、この地点からは観測できない100メートル先に道はまだできていないだろう。これは時間は関係なく物理でいうところの位置がうんぬんの問題なのだろうか。だとすると、やはり、永遠ではなく延々を使うべきか。文系であり非デジタル世代の私にとってはなんとも――。こんなことを考えながら、慣れないゴーグルを外した。

***

「で、どうだった?」VRゴーグルと海岸線のVRゲームを紹介してくれたシマちゃん。私よりも5年早く引退している、いうなれば老後生活の先輩である。

 会社員時代は業界の人間としか付き合いがなかったし、はっきり友達と言えるような人間もいなかった。シマちゃんとは時間つぶしに足を運んだ商店街のカフェで出会った。シマちゃんの家と私の家は近いところにあった。近所づきあいなど会社員時代は一切してこなかったのだ。引退したからこそ友達になれたといえる。

「あれは素晴らしい。まるで本当に海岸線を散歩しているように錯覚させてくれる。散歩が趣味だなんて枯れた老人にはなりたくはないが、あれだったらいつまでも歩いていたいって気にさせてくれるよ」

 感じたことをそのまま口にしたつもりだが、シマちゃんは半分しかない眉毛をしかめて私の話を聞いている。何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか。

「あちゃ~。コウちゃん、ボトルメール見つけなかったんか?」

「ボトルメール? あった気もするが……」海岸線に流れ着いた漂流物の中に手紙が入った瓶があった気がする。触れないものと決めつけて横目に通り過ぎただけだった。

「次、見つけたら蹴飛ばしてみな、そしたらわかる」

 蹴飛ばす? 手に取るんじゃなくて?

 その日の夜。老後の先輩でありVRの先輩、そして久しぶりにできた友達のシマちゃんが言っていたことを実行すべく再び電脳世界の砂浜に降り立った。

***

 うーん、と伸びをして深呼吸をする。空気がおいしく感じられる。実際には、狭い自室の中のお世辞にも綺麗とはいえない空気である。私が何度も酸素と二酸化炭素を出し入れしてやや二酸化炭素濃度の高いと思われるこの空気であっても、おいしいと感じるのだ。視覚効果とは凄いものよ。

 月夜が美しい。このVR世界は現実の時間と連動している。前回遊んだ時は昼間だったが、今回は夜。月が海面に映り幻想的な雰囲気だ。夜風も気持ちいい。実際にはこれは自室にある古びた扇風機の風なのだが。

 シマちゃんが言っていたボトルメールを探すため歩く。この前歩いた時は2、3個見つけた気がするのだが、探そうとするとなかなか見つからない。しかし、宝探しのようでこんな時間も悪くないと思った。

「あっ」砂浜に光るものを見つけ、思わず駆け寄る。思った通り、砂に半分埋まったボトルメールが月の光に照らされていた。シマちゃんの話では、これを蹴るのだという。近づいて蹴る動作をする。足にデバイスはついていないため感触はないが、VRの中の私の足は確かにボトルメールを蹴ったようだ。

 次の瞬間、ゴーンと大げさな音が響き渡った。それと同時に今まで波音しかなかったその世界に不釣り合いなパッパラパッパーという派手なファンファーレが鳴り響く。そして、いつの間にやら赤や黄色のネオンが空間に現れていた。

 その光景に呆然としていると、何やら海面に動きが。ブクブクと泡が盛り上がったかと思うとゴォーッという轟音とともに水の柱が立つ。水の柱はアーチになりその中を色とりどりの魚の群れが泳ぐ。赤、黄色、緑、青、紫。現実にいるのかいないのか分からないような色や形の魚たち。魚だけではない、亀や蟹、タコなどもいる。魚群はアーチに沿って一方から現れて一方に消えていく。規則的だったファンファーレが途切れた。そうして魚群が空中に止まった。しばらくすると別のファンファーレが流れ、その音楽とともに魚群と水のアーチ、周りのネオンは消えていった。そしてまた静寂が訪れた。

***

「で、どうだった?」この間と全く同じ顔つき、声の調子でシマちゃんがたずねてくる。

「あんな隠し要素があったなんて驚いたよ。散歩に飽きたらああやって魚群を眺めるのもいいかもしれない。現実ではありえない光景だから」

 またも、シマちゃんは半分しかない眉をしかめている。デジャヴか。

「う~ん、コウちゃんよ、あれが何かよくわかってないみたいだな。もう1ぺんやってみ、よく見ればわかるから」

 こうしてもう1度、私は電脳海岸に降り立った。

 今回は夕焼けである。日が沈む前の赤く照らされる海辺も美しい。しばらく歩くと赤く光るお目当ての小瓶を見つけた。この前と同じようにボトルメールを蹴る。感触はないがVR内の私は確かに蹴ったようだ。

 ゴーンという音、ファンファーレ、空中に浮かぶネオン、そして水の柱と魚群。前回と同様である。シマちゃんの「よく見ろ」の忠告通り、注意深く魚群の動きを見る。見る。見る。よく見ると魚群は上、中、下と3本になっている。そしてファンファーレが止まる。魚群1本につき3匹ずつ、上中下で計9匹の魚が空中に停止した。真ん中の縦の列は上と中が紫の魚、下が緑の亀である。下も紫だったら1列揃ったのにと思った。別のファンファーレが鳴る。心なしか気落ちするような音楽に聞こえた。

***

「で、どうだった?」昨日何度かボトルメールを蹴ってみて確信したことをシマちゃんに伝える。

「コウちゃん、やっとわかったか~。でも、その様子だと当たらなかったみたいだな。ま、ボトルメールで当たることなんてそうそうないから仕方ないけど」

 聞けば、ボトルメールは無料のお試しらしい。当たる確率も低いとのこと。ん? 当たるって何が当たるんだ? 

「シマちゃん、当たるとか当たらないとか言ってるけど一体何が当たるんだ?」

はぁーとため息をつくシマちゃん。「あのねぇ、コウちゃん、当たるっていったらアレしかないでしょ。お・か・n」「コーヒーのお代わりお持ちしましたぁ~」店員さんがシマちゃんの言葉を遮ったが言いたいことはわかった。

 あれから、何度もボトルメールを蹴った。しかし、魚群は縦にも斜めにも揃うことはなかった。

「言ったじゃん、ボトルメールはお試しだからなかなか当てるのは難しいって」

「でも、惜しいところまではいったと思うんだよ。途中で音楽やネオンが変わったしさ」

「おー、リーチまではいったんか~。さては、コウちゃん、かなりやりこんでるね。だったら、悪いことは言わない。課金しなはれ。無料は時間の無駄だよ」

 聞けば、課金をするとヤシの実が現れるらしい。ランダムにしか現れず1回しか遊べないボトルメールとは違い、ヤシの実は課金すればすぐに目の前に現れてしかも課金した分だけ何度も遊べるらしい。

「俺もそうだけどこれをやる奴はみんな課金してるよ。課金しなきゃ意味ないね。それから、ピンクのイルカが出たら熱いから」

 シマちゃんはアイスコーヒーを飲み干し席を立った。2、3歩歩いて振り返る。そうしてニカッと笑いこう言った。「ウエルカムツー『VR砂浜物語』」

***

 シマちゃんの言う通りだった。ヤシの実はすごかった。いや、ボトルメールは本当にお試しでしかなかった。1回2回魚群を回したところで当たるものではないのだ。1000回、2000回回して当たるかどうか。初めて当たった時の感動は言葉にできない。魚群の中にピンクのイルカを発見した時のあの高揚感。これは絶対当たる。そう思ったのに外れることもあった。何度目かのピンクのイルカ。胸を高鳴らせつつもどこか冷静な自分もいる。しかし、リーチ中のネオンとファンファーレの盛り上がりの中では手に汗握らずにはいられない。そうして赤のヒラメが縦に並んだ。一瞬の静寂の後、聞いたことがないほど激しいファンファーレ。爆音の中、とうとうやったぞーとVRの私は両手でガッツポーズをしていた。もちろん、現実でも。しかも、当たったらそれで終わりではない。2回、3回と当たりは続くのだ。初回は計5回当たりが続いた。

「黄色いマンボウっつーのも熱いらしいよ」

「この前、白いクラゲがいたけどあれは何でもなかったよ、シマちゃん」と私たちは顔を合わせれば『VR砂浜物語』の情報交換をするようになっていた。

「今度、町内会の連中とマルチでプレーするんだがコウちゃんも来るか?」

 砂浜に仲間内でヤシの実を並べておしゃべりしながら魚群を回せるのがマルチらしい。何て楽しそうなんだろう。断る理由はない。

 約束の日時。砂浜に行くとすでにシマちゃんと数人が並んでヤシの実を蹴っている。定年退職後、これからは何もない砂浜をあてもなくとぼとぼと歩くしかないと思っていた。サラリーマン時代のように目標に向かってがむしゃらに突っ走ることなどないと思っていた。

 1ミリも熱くない灼熱の太陽が砂浜とシマちゃんのハゲ頭を照らしている。私はシマちゃんの横に流れ着いたヤシの実に向かい一目散に駆けていった。


2021年7月


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見出し画像に写真をお借りしています。



爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!