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朝、本を美少女にあげた【小説】730字

 七時に目覚ましをかけるがすぐには起きない。しばらく布団でまどろみ十分後のアラームで寝床から這い出す。

 適当に顔を洗い歯を磨き水を飲み服を替え外に出て駅に向かう。七時三十五分。

 駅に着いたらエスプレッソか生絞りジュース、気分によってどちらかを選び飲むことにしている。ことにしているが、今日もコンビニで買った栄養ドリンクを一気に飲み干す。

 一度乗り換えをして山手線の駅に着く。八時五分。いつもは内回りに乗るのだが今日は外回りに乗った。

 普段降りない駅で降車。書店を探す。見つけたがまだ開店前。仕方がない。コンビニで適当に本を買う。タイトルからは内容が想像できない白表紙の文庫本。

 少し歩いていると公園を見つけた。自販機で水のボトルと缶珈琲を買う。硬い木のベンチに腰掛ける。少し湿っているような気がするのは朝だからだろうか。それとも夜明け前に小雨が降ったのか。

 缶を開け三口ほど珈琲を飲み水を開け口直しをする。単行本を開く。プロローグの途中まで読み本を閉じる。これだけではわからないが今は読みたくない類の本であった。本を膝に乗せ向かい側のベンチをしばらく見つめる。

「それ何の本?」と不意に声をかけられる。顔を上げると黒髪の美少女が傍らに立っていた。

「わからない。まだ読んでないから。でも、気になるならあげるよ」と美少女に本を差し出す。よく見ると美少女ではなく初老の男性だった。頭頂部は大分薄いが側頭部にはまだ黒髪が残っていた。

 気付くとそこは公園の湿ったベンチではなく電車の座席。もうすぐ私が降りる駅。遠回りになったが環状線なので乗っていれば辿り着く。駅を降りたらタクシーを拾おう。徒歩では間に合わない。現在八時四十三分。内容を知らない文庫本は膝にはない。美少女にあげたのだから。


2021年11月



見出し画像にイラストをお借りしました。


爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!