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苦みの規制【掌編】1,153字

思春期になると苦いものに興味を持ち始めます。いや、この表現は正しいとは言えません。思春期前の十歳でも五歳でも興味を持つ子供はいるのです。思春期になるとその欲求が高まるという方が正しいかもしれません。

苦いものは十八歳になるまで買えない、口に入れてはいけない、手に取ってはいけないことになっています。まあ、これは建前です。中高生は大人以上に興味津々です。あの手この手で苦いものを手に入れようとするのです。大抵の人は十八歳未満で、ブラックコーヒーやゴーヤ、魚のワタを経験するのです。

少し苦い程度のものであれば十八歳でなくても買ったり目にしたりすることはできます。コーヒー牛乳やビターチョコなんかがそうです。でも、だんだんとそういうもので飽き足らなくなってくるのです。

十八歳というのは何を基準にしたものなのでしょうか。だいたいの人が十八歳を迎える前にそれらを口にしているというのに。十八歳になったから何が変わるというのでしょうか。

別にこの決まりがダメだと言っているわけじゃないのです。センシティブな問題ですし。でも、苦みへの欲求は食欲、睡眠欲と並んで三大欲求じゃないですか。それを縛るのが面白いなぁと思っているだけなのです。

お腹が空いて空いてしょうがないのに条件を満たしていないから食べちゃダメ、眠くてもうどうしようもないのに条件を満たしていないから寝ちゃダメ。そりゃあ、いつでもどこでも食べたり寝たりはできないでしょう。でも、それができる時と場所はあってしかるべきです。

苦いものはその欲求があるのに年単位で我慢させられるのです。とはいえ、この決まりはみんな破りまくっているので思春期の人たちにとってはさしたる問題ではないでしょう。一抹の罪悪感はあるかもしれません。逆に規制されればされるほど苦みを求める気持ちが高まるという人もいるかもしれませんね。

苦いものを提供する側は工夫が必要です。十八歳未満が口にすることのないようにしなければいけない。提供する場は狭まります。それは仕方がないことです。苦いものや必要以上に辛いものは大人であっても苦手な人はいるわけですから。

十八歳未満でも口にできるように、あの手この手で規制をかいくぐったり妥協したりと工夫をする提供者も多いでしょう。

苦みが主題のコンテンツでない場合でもその工夫が必要です。例えば小説の中の苦い表現、別に主題ではないのですから、読む人を苦い気持ちにさせたいわけではないのです。でも、工夫が必要。

苦いは三大欲求の一つなのに。人間を描く小説なのにあるべき苦みが不自然に省かれていたらそれは小説として欠陥ではないですか。かといって苦みが主題ではないのですから、苦みありマークなんて付けたくはないし、それだけを求める人に色眼鏡で読んで欲しくはないし。難しい難しい。


2021年12月

爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!