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切腹の習慣【掌編】(855字)


 親父にはある習慣があった。

 毎晩、切腹をするのだ。

 切腹といっても、実際に腹を切るわけじゃない。座禅を組んで精神統一をした後、見えない刀で腹を切る。

 親父は毎晩寝る前にこれを行うことが日課になっていた。何でも昔、自分を許せないことがあったらしく、それ以来続けていると聞いた。

 小学生の俺は何の疑問も興味も持たなかった。物心がつく前から続けられていたので、俺にとっても当たり前になっていたからだ。

 しかし、ある時俺は時代劇風のアニメを見てサムライや切腹に興味を持つ。

 親父はいつも自室で切腹をするのだが、その間、家族の誰かが話しかけることも部屋に入ることも嫌がった。

 その日、親父が切腹前の精神統一中に俺は部屋に忍び込んだ。手には新聞紙を丸めて作った刀。

 アニメで見た通りに、親父が小刀を腹に当てた瞬間に首を切り落としてやる作戦だ。

 精神統一する親父の背後でその時を待つ。

 自然と俺も正座をしていた。最初はいたずらしてやろうとワクワクしていた俺だったが、徐々に神妙な気分になってくる。

 親父が動く。ついに切腹か。

 刀を持つ手に力が入る。

 親父は見えない誰かに礼をして着物を脱ぐような動作をする。親父が前方の見えない刀に手を伸ばし腹に当てた瞬間――。

 俺はたちどころに親父に駆け寄り首をねた。

 刎ねたふりのはずだった。

 親父の首は血しぶきと共に前方に転げ落ちた。

 すぐさま手元を見る。そこにあったのは、刀ではなくただの新聞紙を丸めた棒。

 親父の荒く静かな息が聞こえる。

 顔を上げると、前方に倒れ込んではいるが親父の胴体と首は繋がっていた。

 俺の見間違いだったのだ。

 俺も親父も無言。2人の荒い息遣いだけが聞こえる。

 その後のことは覚えていない。おそらく親父と二言三言ふたことみこと話しただろうが記憶にない。ただ、怒られたり注意されたりはなかった。

 あの夜から程なくして親父は死んだ。

 俺が殺したわけじゃない。あれはおかしな緊張感が見せた錯覚だったのだ。

 しかし、俺には親父の首を刎ねた記憶がある。あの感触、臭い、音、血しぶき。

 俺は今、毎晩切腹をしている。かつての親父のように。


***


2021年1月

爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!