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世界チャンピオンになりたかった。【掌編】(839字)

 テレビでは防衛したチャンピオンが肩車されてみんなに祝福されて。チャンピオン、チャンピオンとどこに行ってもちやほやされて。

 どこのチャンネルでもチャンピオンのシンデレラストーリーが流れた。パッとしない自分をチャンピオンに重ねて自分の進むべき道はこれしかないと勝手に思った。

 高校デビューと同時にボクシング部入部。運動部未経験の自分は練習の辛さよりも部内の人間関係がきつかった。

 ボクサーとして経験を重ねていくと自分の実力や限界も分かってくる。世界チャンピオンどころか部内でも勝てない。チャンピオンなんて口が裂けても言えない。

 そうやって自分は世界チャンピオンの夢を諦めた。いや、諦めというのすらおこがましい。夢は氷みたいにじわりじわり溶けていった。グラスの中には氷があった痕跡すらない。

 今、息子がスーパーヒーローになりたいと言っている。敵から人々を守って感謝されてかっこよくて。世界の命運を一手に引き受けて輝く姿に憧れるのも無理はない。

 トイレの後、ウンチすら自分できちんと処理できない息子。内心ふがいないと思っているのだろう。変身前のヒーローはドジな性格であることが多い。息子はそんなヒーローを自分に重ねているのかもしれない。

 ヒーローになったとしてスーパーになれるかは別問題だ、息子よ。父と違って社交的なので戦隊内での人間関係は問題ないかもしれない。

 しかし、テレビで脚光を浴びているスーパーヒーローはほんの一握り。町内や市内のヒーローとして経験を積んでいった時に果たして国民的スーパーヒーローになりたいとまだ言えるだろうか。怪獣や悪の組織と戦う前に町内の変人との戦いで、自分の実力や限界を知るのではなかろうか。

 もちろん、息子がスーパーヒーローになる可能性だってある。でも、いつかの自分みたいに夢を諦めたとすら言えない状態になってしまう息子を見るのは辛い。

 とはいえ、スーパーヒーローを諦めて公務員を目指しなさい。とは言えない。今はスーパーヒーローに憧れて目を輝かす息子を見守るしかできない。


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2020年9月に書いたものです。

爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!