Base Line【短編】2,331字
普段であればお互いに別れの言葉を口にして、それぞれの家路につく。しかし、この日は違った。
「……これから、どうする? 門限まではまだ時間あるだろ?」
アツシはなにげなく言ったつもりだったが、不自然に聞こえたかもしれない。だが、イツキの顔は影になっていて表情はわからなかった。
「何もなければふつうに帰ろうと思ってたけど……」とイツキ。アツシはすかさず用意していたセリフを言う。
「なあ、ちょっと休んでいかない?」
アツシの目には光がさして怪しく輝いている、ようにイツキには見えた。
アツシは自分の知らない世界を見せようとしている。アツシの短い髪は汗でびっしょりと濡れている。その匂いまで感じられるほどイツキは近づいていた。
***
「イツキ君は初めてなんだ」と先を歩きながらアツシは言う。アツシは内心ホッとしていた。少なくともこれで比べられる心配はない。
「ねぇ、あっくん、そこって何する所なの?」とイツキは大きな目を輝かせる。
「べつに何もしないよ。休むだけ。まあ遊びたいならいろいろあるけど」
そう言いながらアツシはコージを思い出していた。自分を最初に誘ったときの彼もこんな気持ちだったのだろうかと。
***
(アツシ、喜んでくれるかな……)
アオイは段ボール箱を抱えて廃校に向かっていた。夕暮れの街を歩きながら、つい、にやけてしまう。ようやく完成したのだ。その時のことを思い出す。
「1階しかないけど十分凄いよな、俺たちの」
「オフィスは中を改造しただけなんだからこっちの方が凄いよ」とアオイは前の秘密基地に未練を残すアツシに答える。
コージをリスペクトしているアツシはオフィスのレイアウトを変えることさえ嫌がった。
「コージ君はもういないのに……」とは決して言えなかった。
アツシに遠慮してできなかったコーディネートが好きなだけできる。そう思うと段ボールの重さを忘れてアオイは早足になった。
廃校跡地に新しく作ったそれは正真正銘2人だけの物だった。少なくともアオイにとっては。
***
「大きいねえ! 凄いよ、あっくん」とイツキはアツシが期待した通りの反応を見せてくれる。この反応が見たくてアツシはイツキを連れて来たのだ。
「そんなでもないよ。前のはもっと凄かったし」と言いながらも、アツシは木材とトタン板で作ったそれを愛おしそうに眺めた。
それからアツシは、中断された工事現場に残されたプレハブを利用したオフィスがいかに快適だったか、そしてオフィスを作った2つ上で去年小学校を卒業してったコージがどんなに凄かったか、工事再開でオフィスが使えなくなってどれだけ悔しかったか、そして廃校のグラウンドにどのような思いを込めて新秘密基地を作ったか、イツキに熱く語って聞かせた。
アツシの話に「うん、うん」と相槌を打ちながらも、イツキの意識は目の前の丸太のような太い柱に奪われていた。
「ねぇ、あっくん、これはどこからどうやって運んだの?」
「ああ、これは――」
アツシが言うには、この新秘密基地を作るにあたって廃校跡地の管理人に交渉したとのこと。そして、秘密基地の許可と保障をもらい、廃屋からこれらの材料を調達することもできた。そして、柱を地面に固定する際にはショベルカーも動員したのだと言う。
「俺は秘密基地はこっそりやるもんだって思ったんだけど、アオイ君がさ、もう居場所を奪われたくないって。それには俺も賛成だったから」
「じゃあ、アオちゃんが大人と交渉したんだ?」
「まあ、そうだな」
「あっくん。アオちゃんには今日、僕が来ることちゃんと言ってるの?」
「え? いやべつに――」
後ろでドサリと音がした。イツキは門限までに帰れるだろうかと一度空を見上げた後、振り返った。
***
(なんで、なんで、なんで、なんで!)
アオイは衝動のままに叫んでしまいたかった。ドクドクと足先から指先から血液がのぼってくるのを感じた。
アオイは何とか自分を抑えつつ、どんなにばつの悪そうな顔をしているだろうかとアツシの顔に目をやる。しかし、アツシはいつもとなんら変わらない顔つき。
(そうか、アツシは――)
アオイはいつものように心の調律を合わせていく。
そんな葛藤があったアオイよりも先にイツキが動いた。立ち尽くすアオイの足元にしゃがみ込む。イツキのセミロングの髪が波打ち、つむじが表れる。膝にイツキの細い髪が当たりくすぐったい。
段ボール箱を元通りにしてイツキが立ち上がる。イツキはアオイの耳元に唇を近づけささやいた。
「アオちゃん、大丈夫だよ」
冷静さを取り戻しつつあったアオイだったが、先ほどとは別の理由で血がうねるのを感じた。
イツキは、今度はアツシにも聞こえるように「この秘密基地の名前は何て言うの?」と言いながら振り返る。
「今は『廃校』って呼んでるけどあんまし気に入ってないんだよな。『オフィス』みたいなカタカナがいいんだけど」とアツシは2人に歩み寄る。
「これって野球の線だよね。線の上に建てたんだね。この線って何て言うんだっけ?」イツキはしゃがみこみ、地面にうっすらと残る白い筋に指を這わせた。
「ベースラインだよ。あっ、『ベースライン』ってどう、基地の名前」とアツシはさも自分が思いついたように無邪気に笑う。
「いいと思うよ。ベースには基地って意味もあるし」とイツキは立ち上がり、アオイにも同意を求める笑顔。アオイには一瞬イツキが片目を閉じたように見え、心臓が音を立てた。
イツキの笑顔にアオイがうなづくと、イツキは不意にアオイの手を取った。おどろいて横を見るとイツキはアツシともつながっている。
イツキの手は夏とは思えないほど冷たく気持ちがいい。イツキの長いまつ毛を見つめながら3人も悪くないとアオイは思った。そして、改めてイツキの指に自分の指を絡ませた。
2021年7月
爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!