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心霊のたのしみかた【掌編】3,249字

 私は心霊の類は一切信じていない。

 しかし、嫌いではない。こう言うと「それはおかしい」と反論する人もいるが何も変なことはないと思う。

 心霊を信じていないことと、心霊を楽しむことは相反することではない。これはキャラクターのテーマランドを楽しむ婦女子らと何ら変わりはないと考える。彼女らは目の前のキャラクターの着ぐるみをキャラクターそのものだと思って楽しむ。汗だくで無表情のスーツアクターが中で役割をこなしていることは百も承知のはずである。だが、決してそれを指摘することはないし、自分でもその認識に蓋をしてキャラクターの世界に入り込んでいる。

 私の心霊に対する接し方はそれと似ている。ただし、テーマランドにあるお化け屋敷の類は楽しめない。私にとってそれは模造品でしかない。先の例えで言えば、オリジナルのテーマランドを模した質の悪いコピーのテーマランドにしか見えないからだ。何が悲しくて偽物を楽しまなければいけないのか。

 私にとってのオリジナルのテーマランドとは、言うまでもなく、事故物件や廃墟といった心霊スポットである。心霊スポットを訪れて、心霊が出るんじゃないかと戦々恐々しながら見て回る。時に水の下たる音に首をすくめ、時に猫の死体を見て冷や汗を流す。一歩一歩進むに従い、段々と疑心暗鬼になっていく。何か良からぬモノが私を見つめているんじゃないか、後ろからついてきているんじゃないかと。

 言い忘れたが、心霊スポットには一人で訪れる。数人でワイワイキャーキャーしながら、という楽しみ方もあるが私のスタイルではない。私はあくまで自分の中から湧き上がる不安や疑心を楽しみたいのだ。それは一人でなければ味わうことができない。他に人がいれば不安や疑心が薄れてしまう。

  前述したように、私は心霊の類を一切信じてはいないので、本当に不安や疑心があるわけではない。それが心の中に生じていると思い込んで楽しんでいるだけである。一歩でもその場を離れれば、不安や疑心はきれいさっぱりなくなり満足感だけが残る。

 前置きが長くなったが、今回、私は心霊スポットと噂のある廃墟のラブホテルを訪れている。関東近郊県の人里離れた場所にある。国道沿いではあるが周囲には何もない。調べでは十五年ほど前に廃業したっきり放置されているとのことだ。何が出るとか、過去に何があったとか、そういうことは敢えて調べていない。全て明らかにしてしまうと醒めてしまうからだ。結局は何もないわけなのだから。

 ここは各部屋が独立しているコテージタイプのホテルであった。部屋の前に駐車場、中はベッドルームとバスルーム、トイレ。私はこのタイプは好まない。いや、ラブホテルの好みではない。心霊スポットとしての好みである。独立していると一部屋一部屋見ていくごとに気持ちがリセットされてしまうのだ。奥に進むごとに不安や疑心が大きくなってくる恐怖を楽しむことができない。

 そこで私は一計を案じた。全ての部屋を回るのではなく、一部屋に長時間滞在して心情の変化を楽しむ。物音、肌感に敏感になって、些細な音や空気の変化にも恐れる心を楽しむことにした。

 これだ、と選んだ一部屋のドア前に立つ。手をかけなくても鍵などかかっていないことは明白だ。ドアノブ自体がないのだから。ドアノブがあった場所には丸い穴が開いている。穴に手をかけて一気にドアを開けて中に入ってもいい。しかし、せっかくの心霊スポットだ。一つ一つを楽しまなければ。

 私は中にはどんな恐怖が待ち構えているのだろうかと想像を巡らせた。愛憎の末に自ら命を絶った女の霊か、肉欲に溺れ死んだ男の霊か、はたまた営業を停止してもなお働き続ける従業員の霊か。それらに遭遇して動けなくなる自分を想像した。どんどんと近づいてくる黒い影。目の部分だけが怪しく光る。手が私の方に伸びてきて……と。自分の陳腐な想像に少し醒めてしまった。

 私が求めているのは霊であって霊ではないのだ。霊が傍にいるかもしれない、霊が自分の精神に影響を及ぼすかもしれないという疑心暗鬼。それこそが私が求める心霊体験である。明確に霊とわかる存在が見たいわけではないのだ。そんなのを見たければ、それこそテーマパークのお化け屋敷に行けばいい。

 これ以上、あれこれと考えると、より醒めてしまう。私は思考を止め部屋に入っていくことにした。中に入るとカビと泥の臭いが混ざったような臭気を感じた。深呼吸をして身体の隅々までその臭いを行き渡らせる。ベッドや机、椅子などの調度品は汚れてはいるが一通り揃っていた。私は角度を調節しながらベッドの縁に腰掛けた。ちょうど右横に鏡がくるようにしたかったのだ。部屋の奥の突き当り、バスルームとトイレの扉が両側にあるそこには大きな姿見がある。埃を被ってはいるが割れもヒビもない。

 私はこの姿見を今回のメインにすることに決めた。ベッドに腰掛け視界の端に映る大きな鏡。光の差さない部屋の奥にあるそれは目を凝らさないと何が映っているのかわからない。チラチラと動くそれは自分の姿か、部屋に巣くう何かか。鏡と対面して直視したのでは面白くない。視界の隅に置くことで疑心を育てていくのだ。

 五分ほど私は鏡に気づかなかった。ただベッドの縁に腰掛けうつむき、自分の置かれた状況に恐怖していた。しばらくして視界の端で何か光るモノに気づいた。それと同時に微かに何か動いた気がする。一度はそれに恐れおののき再び深くうつむいた。しかし、意を決して右奥にある何かに目をやると……ダメだ、ダメだ、ダメだ。

 ちっとも、ちっとも怖くない。部屋の前で想像してしまった陳腐な霊のイメージが頭をチラついて心霊の世界に入り込んでいくことができない。完全に醒めてしまったようだ。部屋を見渡す。もう薄暗くて小汚いだけの部屋にしか見えない。ふと、部屋の奥に目をやる。そういえばシャワールームをまだ覗いていなかった。そうだ。良いことを思いついた。

 私はこれからここで裸になりシャワーを浴びる。霊がいるこの部屋でそんな不遜なことをすれば彼らを怒らせるかもしれない。何か不測の事態が起こっても裸の私はすぐに逃げることもできないのだ。この思い付きに心が躍りそうになったが、何とかその気持ちを抑え、わざと手を震わせる。そして呼吸を浅くし、小さい悲鳴をあげる。それを自分で聞き、不安な心を大きくしていく。震える手で一枚一枚服を脱いでいく。

 下着も靴下も全て脱ぎ、裸でシャワールームの扉の前に立つ。想像は……しない。何も考えず感じるがまま、恐怖心に身を委ねる。良い、良いぞ。震える手で扉を開く。暗くてジメジメしていて浴槽はヒビ割れ、鏡は落ちて割れている、もちろん水など出ない。そんなところだろうと冷静に予測する自分もいた。……そうであるはずだった。

 そこは明るいシャワールームだった。新しくはないもののシャワーヘッドも浴槽も鏡も何一つ欠けていなかった。まるで営業していた当時のように。電気は付けていなかったはずだが、天井の電球は光を放っている。まさかとは思いながら蛇口に手をやる。水が出た。調節してやるとお湯も出た。シャワーに切り替えて私はそのまま予期せぬシャワーを浴びることにした。シャンプーやソープの類も揃っていた。

 私はシャンプーで頭を洗い始めた。アワを洗い流して顔を上げた時に何かが目の前にいるかもしれない……などと無理に恐怖を作り出す必要はないのだ。今、実際に説明できない体験をしているのだ。この状況について考えることは止めた。冷静になってしまえばこの体験が終わるかもしれない。私はちょうど狭間にいるのだ。考えるともっと恐ろしいことに気づいてしまうかもしれないと思わないでもない。しかし、今はこれで良い。

 頭と身体を一通り洗い終えると、再びシャンプーを適量手に取り頭を泡立てた。何度目だろうか。十回は超えただろうか、数十回、いや、数百回と頭と身体を洗い続けている気もする。これで良い、これで良い。気づいてしまうまではこの心霊体験に浸っていたい。

 

2021年10月



こんな話を書きましたが、私はお化け屋敷の類は大好きです。昔、男友達と2人でお祭り会場のお化け屋敷に入りました。しかし、お化けは1人も出てきませんでした。私たちはほぼ無言で散策していたのでバイトのお化けたちは気づかなかったのかもしれません。お化け屋敷を入る側にもマナーがあるんだということを学びました。それからは多少オーバーになってもリアクションをするように心がけています。廃墟に行く時も「大丈夫かな?」「なんか飛び出てきたりして」「やめてよーもう!」と1人でブツブツ言いながら散策するようにしています。



爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!