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義母来訪

朝ゴキブリが出たと騒ぎ倒す夫は作りかけの朝食を火にかけたまま、一目散に逃げだし膝をガタガタさせながら泣いていた。前日にiPhoneを路上に捨ててきてしまった夫のことである、私は幻覚でも見えてるんじゃないかと心底心配した。ちょうどその日は精神科の予約があった日であり、身重の私1人では万が一夫がよからぬ行動を取った場合静止できないと思い、義母に精神科への付き添いをお願いしたのである。何としても病院に行ってどうにかこの不機嫌なりを治療してもらいたかった私は義母が来ることを夫に隠し、一人で病院に行きたがる夫に無理やり同行した。

駅で母親を見た夫は案の定、嫌な顔をしていた。騙したな、という顔もしていた。

病院予約時間まで時間がないのに、あろうことか私達は電車を間違ってしまい急行で10分先の駅まで来てしまっていた。午前の診察には間に合わない。義母が病院に交渉し、はるばる新幹線で来たことを伝えるとなんとか午後の診療で診てくれることになった。

絶賛不機嫌の夫と義母と3時間を過ごさなくてはいけない。ランチはどこの店も終わりかけである。私がホテルのアフタヌーンティーを提案した。夫は甘いものが大好物である。少々機嫌も良くなるかと思った。後でアフタヌーンティーの写真を今見返すと夫と2人でゲラゲラ笑ってしまうほど、夫の顔は仏頂面そのものだった。

なんとかその場をやり過ごし、病院で診察。初めて夫の主治医とあったが、すごくユーモアがある30歳半ばぐらいのドクターだった。ネットの悪評は全く当てにならなかった。やはり相性が大切なようだ。

前置きが長かった。とにかく私と義母は価値観が合わない。結婚するにあたりどちらの姓にするかに関してもものすごく揉めた。耐えかねた私がその時は姓を譲ることになった。今考えたらものすごくどうでもいいけど、議論しないで当たり前のように夫の姓になるのが私は許せなかった。

話を戻すと、義母は夫が『普通』の子だと主張し、発達障害でもないから薬を飲む必要はないのではないかと言う。とにかく昔から義母は『普通』にこだわるのである。当の私は「普通じゃつまらん。人と違うことが出来た方が差別化できて人生得である。人に迷惑をかけない限り適材適所で好きなことをやるべき。」という価値観で生きてきた。だから私は、義母が『普通』にこだわって息子を制限する心が狭い人間だ、と思っていた。

ところがここで少し考えが変わった。義母が「普通の人でもイライラすることはありますよね。」と言ったのに対してすかさず主治医は、「でも普通の人は路上にiPhone投げたりしないですよ。なんの得もないですし、かなりの損ですから。」と返した。このやりとりを聞いて私は、『普通』に拘っていたのはむしろ私なのではないか。夫を普通から外れたところに置いて優れた人間だと思い込んでいたような気がした。義母は夫が『普通』だと思い込みたいと言うより本当に心から『普通』だと思っているんだ…。なんて心の広い人間なんだ…むしろiPhoneを壊してしまった夫を責めた私の心の方がよっぽど狭かったか、と思った。

ただ家計を一緒にする私からして、iPhoneをイライラするたびに壊されてはたまったものではない上、夫婦で休職中の私たちの収入を考えると本当に困る。発達障害であろうがなかろうが、この症状で困っているので薬を飲むことには納得してもらった。

診察後はゴキブリのいる家に帰るか帰らないかですったもんだあった。義母が倒してくれるとのことで、とりあえず家に帰宅すると確かにゴキブリがいた。それが幻覚ではなかったことに心底3人とも安堵した。お互いを疑いの目で見ていた3人はゴキブリのおかげで一致団結し、平穏な時間が戻ってきた。家にアレクサが余っていたので、使ってみてくださいとお土産がわりに渡し、2日ほど滞在して義母は帰った。

そして、義母も帰宅し、数日後。例のアレクサの使い方を教えて欲しいので時間がある時に電話するよう、夫に連絡が来た。その晩私は別の部屋で寝ていたが、夫は電話しているようだった。

朝起きると夫はめちゃくちゃに機嫌が悪かった。

どうやら昨日の義母との電話のせいらしい。

つづく。

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