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amazarashiが『新言語秩序』で伝えた、今も昔も変わらないスタンス

先週思わぬ形で活力になったのは、プロフィール投稿の「好きな音楽」欄に記載したamazarashiの、2018年に行われた武道館ライブ“新言語秩序”映像の期間限定配信だった。

6月16日19時30分まで見れます

私は2011年の冬にamazarashiの存在を知って聴くようになったので、もう10年来の付き合いになろうとしている。とは言っても、昔ほど熱心なファンではない。アルバムは「地方都市のメメント・モリ」以降買ってないし、新曲も追いかけてはいない(『マスクチルドレン』がコロナより前に書かれた曲だと知って驚いた。RHYMESTERの『そしてまた歌い出す』みたいだな)。

『独白』がよかった

だから今回の配信も全部をじっくり見たわけではない。知らない曲も増えてきた。朗読パートは第四章を除いて全部飛ばした不敬な信者である。ただ、2:24:06から始まる最終演目『独白』は、よかった。

嬉しくて嬉しくてたまらなかった言葉

を、絞り上げるように情感たっぷりに歌い上げるところ。後で音源版を聴いたけれどもっとサラッとしていた。やっぱりライブでボルテージ上がってるときの秋田ひろむの歌い方は、氏の気持ちがよく顕れてて良い。

言葉は積み重なる 人間を形作る
私が私自身を説き伏せてきたように
一行では無理でも十万行ならどうか
一日では無理でも十年を経たならどうか

最後の一文が今回の配信で得た全ての栄養だった。

再び私たちの手の中に

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転調するタイミングでバッツーンと弓を引くようにギターの弦を弾くの、最高にかっこよかった。秋田ひろむ、ライブ上手くなったな……。

amazarashi、秋田ひろむとの付き合い方

youtubeのコメント欄を見ると、今も多くの人々がamazarashiに救われているのがわかる。かつての自分と同じように。

私が秋田ひろむに救われていた2012年頃は、彼もまだ『許されていない』頃で、同じように生きづらさを抱えてライブでトチる不完全な氏の姿を追いかけながら、彼の音楽が評価されて彼が肯定されていくのと同じような歩調で私も2015年ぐらいまでかけてゆっくり『許されて』いった。

近年の彼は、自分がやりたかったであろう表現を追求しつつ、肯定された以降の曲からファンになった人たちに対して“救世主”の役割を果たしているんだなと、新言語秩序の映像を見て感じた。それは本当に素晴らしいことだと思うし、同時に私も過去とは異なる向きに歩けていることを改めて実感できた。

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2013年1月に雪の青森・むつへ巡礼したときの写真。「冬が来る前に」に登場する三保野公園

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“水飲み場の横の柱”が本当にあって感動した記憶

「君自身の言葉で自身を定義するんだ」

秋田ひろむは多くの人にとって救いの手ではあるんだけれど、彼が示すスタンスは昔も今も変わらない。2013年の楽曲『匿名希望』では、

僕は君の代弁者じゃない
君の代弁者は君以外にいない

と歌っていたし、今回の『独白』でも相変わらず、

君自身の言葉で自身を定義するんだ

と歌う。「自分の言葉で話せ」と秋田ひろむは言い続ける。おそらく彼がそう言う理由は、彼が彼自身の言葉で歌い続けたことで状況を変えることができた、というのも大きいのではないか(単純に「わいに期待するな」ってことの方が大きいと思うが)。

期せずして自分を定義する活動をやり直せている今、こう語る彼にまた会うことができたのは、運がよかった。彼は今も時々ふらっと現れて、必要な栄養だけ置いていってくれる。ありがたい。

一日では無理でも、十年を経たならどうか。

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