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明治大学国際日本学部宮本大人ゼミの話

母校・明治大学国際日本学部の宮本大人ゼミの卒論発表会を見に行ってました。幸いなことに1期生で副ゼミ長というおいしいポジションを確保できたお陰で、今でもゼミの様子は気になって数年に一度顔を出したくなってしまう(うざいOBだな……)。

ゼミはテーマとして「メディアとサブカルチャー」を掲げており、それに則って学生本人が「これは『メディア』で『サブカルチャー』だ」と考えた研究対象であれば全て卒論の題材として認められます。

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そんなわけで本年度の「メディアとサブカルチャー」のお品書き。今年も活きのいい発表が揃ってました。

発言したこと

【アイドル楽曲のジャンル多様化と影響】で述べられた「音楽ジャンルの特徴をつけるアイドルが増え始めたのは、音楽シーンの変化・アイドル市場の激化・プロデュース側の思惑によるものである」という論に対して、東京女子流のアーティスト宣言の失敗を例にそもそもアイドルファンはジャンルの色付けを求めているのか(ファンはアイドルという枠からの逸脱を求めていないのでは)? とか、

【米津玄師/ハチ論 -背景と楽曲の変化を中心に-】で述べられた「米津玄師が支持されるのは、ハチ時代からサンプリング・エレクトロ・ラップ・民謡など楽曲ごとに新たな要素を自分のものとして昇華することで作曲の幅が広がり、それが聞き手の層も広げる要因になったからだ」という論に対しては、『あいみょんはメダロットのパクリ』疑惑に見られるカノンコードの普遍性やアンビリーバーズは実質T.M.Networkという私見を例に歴史的・理論的に大衆にウケやすいことがわかっている音楽に寄せているだけではないのか? とか、

そういう重箱の隅を突く質問を投げました(ここまで早口でまくしたてる)

「好き」を貫き通すゼミ

この卒論発表会の好きなところは「私はこのカルチャーが好きだから掘り下げるんだ」というゼミ生の個人的な感性から研究がスタートしていながら、でも自分が好きなものをただ好きというだけで終わらせたくない、文化的に意味があることなんだとわからせたい、そういう“業”に近い執念の一端を感じられるところです。

明大国際日本学部はゼミや卒論が必修単位になっておらず、卒業まで楽な学生生活を送りたいならわざわざゼミに入る必要はありません。まして宮本大人ゼミは同学部の中でも比較的“ガチ“なゼミとして学生には伝わっているそうで、それに飛び込むというのは中々にマゾヒスティックです。

新たに入ってくるゼミ生は1期から現役まで全員が参加しているSNSグループに自己紹介として好きなことや興味あることを投稿する通過儀礼があり、それに対して我々は自由にコメントもできるんですが、正直ここ数年は自分にはあまりわからない分野の話が増えてなかなかコメントできなくなりました。歳ですね。

それでも卒論発表会に至るとこうやってコメントできるようになるのは、ひとえに約一年におよぶ執念のアウトプットを感じられるからで、俄仕立ての自分のツッコミにどんな切り返しをしてくるかが楽しみだからです。マウント取りたいだけじゃねーかうぜぇOBだな……。

しかしなかなか「好き」を貫き通すというのは難しいもんだと感じることも卒業してからはたびたびあって、学生の頃にこういうことができたのは本当に得難い糧になったなぁと改めて思った次第です。

もし宮本大人ゼミで検索してこの記事がヒットするようになったら入ゼミ志望者減るかもしれん。許して先生。

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