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宗教はエンタメであり、エンタメは宗教である

日本は無宗教だと現代では言うが、まんが日本の歴史を読んでいると日本もまた西欧諸国と同じように宗教とともに生きてきたことがわかる。そうじゃなきゃ現代に至るまで寺社仏閣がこんなに残ってるわけないんだよな。

なんでそんなに普及していた宗教が、現代日本では衰退してしまったのか。

宗教とはサービスである

まず宗教はサービス業であると認識する。宗教は農産物や加工で稼いでいるわけではなく、教祖の教えを説き、それにお布施など対価をもらう形で事業を回している。教えを「情報」と考えれば、ある意味情報商材に近いサービスといえる。

ただ、阿漕に搾取するのではなく、「人を救う」という理念に基づいて、炊き出しなど困窮した人を助けるフリーミアムな慈善事業を展開することで、利益を社会に還元しつつ、新しい顧客(信徒)を獲得してきた。

宗教とはインフラである

人口に膾炙していった宗教は、やがてインフラとして行政の一部を担うようになった。政権が年貢を徴収するために、地域に根付いた寺にその地の農民の戸籍や租税を管理する行政機能を担わせた。

個人的な話で恐縮だが、少し前に地元の友人と茶でもしばくかと会う予定を立てたときに、3密を避けようということで寺で会った。境内でテイクアウトのコーヒーを飲みながら「昔は寺がこうやって地域の交流の場になってたんだよな」という話もした。寺社仏閣には地域コミュニティを形成するための、現代で言うなら公民館や公園的な機能もあったわけだ(信徒向けサービスの一環と捉えることもできるけど)。

宗教とはエンタメである

現代ほど暮らしに余裕がない中で、生活に必需でない情報産業である宗教が普及したのはなぜか? それは宗教がエンターテインメントだったからだ。

宗教というサービスが提供する基本的な機能は「救い」だ。生きている今がどれだけつらくても、死んだ後には成仏できる、浄土にアガれる。日々の苦しみを紛らわし、生きるという苦行を続けた先の希望を示すのが宗教だったのだ。

現代でも聞いたことのあるような話だ。特にオタクコンテンツはこの手の話題に溢れている。アイドルなんかわかりやすいもんだろう。オタクは「お布施」もするし「布教」もする、その代わりに「救い」をもらう。構造的には宗教と全く変わりない。

エンタメ産業に競合する宗教

宗教からインフラとしての事業機能は失われて久しく、事業の柱はエンタメサービスだ。

文明開化後の日本(および世界)は、テクノロジーの進歩に伴ってエンタメ、つまり人々にとっての救いになり得るものがどんどん細分化した。そうした時代の渦中で宗教というエンタメは、他の競合に追い落とされていく。

宗教の強みは「死」という誰もが平等に抱える“持病”に効くサービスを持っていることだが、菩提寺の坊さんを呼んで葬式を上げるという人も減りつつある。何度日本が衰退しても、競合がいなかった時代の宗教は残り続けてきたが、果たして今回の衰退期を、宗教はどうやって生き残るだろうか。

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