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野菜を育てていたときのこと

東京から福岡を経て地元・名古屋にUターンし、名古屋市のはずれにある祖父母の空き家に住んでいた一時期、庭で野菜を育てていたことがある。

開墾

空き家がある地区は、私の幼い頃はのどかな田園風景が広がる名古屋最後のフロンティアだった。30年かけて続けている区画整理によって今はただの小綺麗な新興住宅街になっている。その区画整理による負の遺産として、庭の一角に何もない荒れ地が余っていたので、そこを開墾した。

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ゴーヤの苗を2株植えた。左は通常品種のゴーヤ、右は生で食べられるデリシャスゴーヤという改良品種。なぜゴーヤなのかというと、福岡の行きつけの店で食べた『ゴーヤの塩昆布あえ』がめちゃウマで、自宅でも食べたかったから。

生育

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通常ゴーヤに比べてデリシャスゴーヤは育ちが遅かった。また両種とも雌花が咲き始めたのに雄花が一切咲かず、なかなか実がつかず焦った。ある朝雄花が一輪咲いているのに気づいて、即座にむしり取って人工受粉した。

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夏になり、ゴーヤは両種とも大量に実をつけ始めた。感動した。が、しばらくすると「こんなにあっても消費し切れねーな……」となった。会社勤め独身男性の需要に対して供給が多すぎた。周りの人にあげたり、乾燥させて保存食に挑戦したりしたが、それでも結構な量を完熟爆発させてしまった(ゴーヤは完熟すると実が黄色くなって破裂する)。

脅威

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台風が来た。翌朝様子を見に行くと、ものの見事に支柱が倒壊。ゴーヤそのものは無事で支柱もなんとか立て直したけれど、身を持って農業における天災の脅威を痛感した。

何事も時間がかかるし、うまくいかないこともあるし、困難もある

野菜を育てる経験はそんなことを教えてくれた。

実は開墾するまでもなく庭の別な場所にはもともと畑があって、それは近くに住む叔母が昔も今もずっと使っている。この畑も、作付けの手伝いや水やりをした。こっちではいろんな作目を植えていたので、その年はうまく育たなかったものもあったし、トマトはカラスに狙われたりもした。

自分の育てたゴーヤは幸い最終的にたくさん収穫できたけれど、初期の頃はデリシャスゴーヤは本当に育ちが悪かったし、雑草を抜いたり虫を除けたりで手間がかかったし、途中は受粉や台風などの困難もあった。

それでも地道に毎日水をやって面倒を見ていたら結果が出たというのは、福岡での仕事に挫折して地元に帰ってきた自分にとって大きな癒やしだった。それで一時期は就農を考えて農家体験を試みた時期もあったけれど、なんか違うなと思い直して現在に至る。今はもうこの空き家に住んでいないのだけれど、でもやっぱり畑はいつかまたやりたい。

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ゴーヤの塩昆布あえは自分で作ってもうまかった。


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