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カナちゃんの彩りサラダ


むごたらしい。
なんてむごたらしいんだ。

これキャベツじゃねぇか。
それはもう、とてもとても美しい春キャベツ。


今日は調理実習でレタスを使ったサラダを作ることになっていた。


カナちゃんは、キャベツを持ってきた。


非の打ち所のない立派なキャベツだった。少し小ぶりだが、艶やなかな緑色で、食べてもいないのにそのみずみずしさは十分に伝わってきた。きっと選りすぐりのキャベツなんだ。キャベツっていうのは、こういうもののことなんだろうなと感慨深くさえなった。



でもカナちゃん、今日はレタスだ。



他のグループはちゃんとレタスを持ってきていた。おいしそうなレタスもあったし、小汚いレタスもあった。でも僕らのグループはその評価の土俵にさえあがれない。なぜならキャベツだから。僕らのグループはどこまでもキャベツなのだから。

ドレッシングも手作りするということで、材料は貫井が持ってくることになっていた。当然、ちゃんと材料を持ってきた。こいつは勉強ができない。だがおっちょこちょいはしない。

僕はサラダに彩りを添える材料をもってくる担当だった。だから生ハムをもってきた。2パック。僕の家ではレタスには生ハムって決まってるんだ。それに生ハムなんか誰も持ってこないだろうなと思った。だってこのクラスの奴らには、そんな思想を微塵も感じなかったから。よくできてただのハムだろう。ハムさえ持ってきてる奴はいない。もちろん生ハムを持ってきていたのは僕一人だった。

だが唯一無二の存在は、もう一人いる。


カナちゃんだ。


レタスを持ってくるべき日に、キャベツを持ってきた女人。
とんでもないバケモノと同じグループになってしまった。
カナちゃんはちょっと照れ笑いをするだけで、罪悪感はまるで感じていないようだった。

お前は罪人だ…!
とんでもない大罪を犯したことを自覚しろ。
レタスなきこのグループの有り様を見ろ。

僕も貫井もただ、うつむくことしかできない。なのに、なのに…カナちゃんはハニかんでる。ハニカミ続けている。いますぐ調理台のうえに転がってるその立派なキャベツを飲み込め!そしてケツの穴からみずみずしいレタスを一玉出せよ…!頼むから。

他のグループは調理前の談笑に花を咲かせている。嬉々とした笑い。ほとばしる躍動感。まだ調理を始めていないというのに、どうしてこんなにまぶしいんだ。光につつまれて、僕たちが消えてしまいそうじゃないか。

だが知っているぞ。お前らの偽善を。
確かに感じるぞ。ズルい眼差しを。

友人同士の会話に夢中になっていると見せかけて、お前らは見ている。僕たちのキャベツを。確かに見ている。躍動感の隙間を盗人の眼が縫うておるわ。


「それでは調理実習を始めますよ。」

知らない間に先生は調理室に来ていた。もう他のグループの奴らにはバレてる。堂々と言ってやるさ。

「先生!僕たちのグループ、キャベツ持ってきちゃいました。」

「うーん。レタスの余りはないので、しょうがないけどキャベツでサラダを作ってください。」


僕たちは完全にキャベツの絶望に世界を奪われた。これほどまでにキャベツが憎かったことはない。これほどまでに恥をかいたことはない。そして、これほどまでに神にすがったこともない。


「神様お願いです。どうか余分にレタスがありますように。」


神様、かつてあなたにこんな願いをした者がいたでしょうか。確かにこんなことよりももっと重要な局面で救いを求めてる者はいます。しかし、僕にとっては今、この現在、目の前にあるキャベツが、世界の全てなのです。

貫井はすでに調理をする前から憔悴しきっている。こいつも世界の終焉を悟ったんだろう。もう君は諦めて不恰好なドレッシングを作るしかないんだ。僕たちはたった今から、キャベツ奴隷なのだ。

カナちゃんはキャベツを4分の1に切り分けていた。そして静かに、まるで自然の摂理のように、僕と貫井それぞれに4分の1カットを手渡した。

わかってる。だけど身体がピクリとも動かないんだ。もう切るしかないのは分かってる。後戻りできないことも。このキャベツに一太刀いれてしまったら、僕も共犯者になってしまう。本当は他のグループから少しずつレタスを分けてもらうこともできるはずだ。各グループに丁寧に頭を下げ、貴重なレタスを分けてもらうことなんて訳ないじゃないか。

「シャキ、シャキ、シャキ」

「シャキ、シャキ、シャキ」

ああ!周りからは既にレタスのシャキシャキのサウンドが聞こえてくる。新鮮なレタスに包丁を入れるたびに、生命の豊かな断末魔がはじけている。レタスを切る者、それを見守る者、レタスに関わる全ての者たちが今にも踊りだしそうではないか。


「ザッザッザッザッ」
「ザッザッザッザッ」

カナちゃんはもう、走り出していた。キャベツの未来へ。無骨だが力強いキャベツの千切りサウンド。これは戦意高揚のためのマーチ。カナちゃんが奏でる僕らの軍歌。抗わねば。理不尽な運命に嘆くのはもう懲り懲りだ。ここには戦う理由がある。僕らのキャベツ、僕らのキャベツなんだ。

貫井の顔つきは、もはやスパルタの戦士のそれ。さあ僕も剣(つるぎ)を!

「ザッザッザッザッ」
「ザッザッザッザッ」

レタス勢も負けてはいられないとばかり、シャッキシャキサウンドを響かせる。

「シャキ、シャキ、シャキッ」
「シャキ、シャキ、シャキッ」


ここで生まれる新たなグルーヴ。

「シャキ、ザッザッ、シャキシャキ」
「シャキ、ザッザッ、シャキシャキ」

「シャキ、ザッザッ、シャキシャキザッザッ」
「シャキ、ザッザッ、シャキシャキザッザッ」

「ザシャキ、ザッザッザッ、シャキザシャキ」
「ザシャキ、ザッザッザッ、シャキザシャキ」


もうレタスもキャベツも関係ないんだ。このグルーヴが、僕らのよそよそしいアイデンティティーに形を与えてくれている。一瞬の幻かもしれない。だけど僕はこのうねりに身を投じたい。僕だけじゃない。この調理室にいる全員。

カナちゃんは腰をくねらせながら、キャベツの千切りをプレートに盛っていく。僕も、貫井も、それに続く。


天まで届け!天まで届け!天までだぁああああ!



もはやこれは塔だ。僕たちはキャベツの千切りでバベルの塔を作ってしまった。だが神よ。この塔は人間の驕りではない。運命に従順な者、それに抗う者、両者がともに生み出した新たな光だ。誰にもこの塔を崩させやしない。


僕はこのキャベツの塔に生ハムを巻きつけるぞ!薄切りピンクの羽衣を身に纏え!


柔和でいて頑強な生ハムは、キャベツの塔に身体を与えた。あとは血を通わせるだけ。命のしずくはどこだ。貫井よ、ドレッシングをかけろ。


調理室のドアが勢い良く開いた。息を切らせながら調理室に入ってくるその男は、まさしく貫井だった。いつの間に抜け出したのか、右手には近所のスーパーの袋をさげている。今にも爆発するんじゃないかと思わせるほど顔を赤くしているが、足取りはしっかりとしている。そして一直線にキャベツの塔のてっぺんに向かう。彼は袋に手をいれた。


ブルドッグソース、ドヒャァァ!!!


これぞ、命のしずく…!僕たちがいくらおいしいドレッシングを作ろうとしたって、必ず超えられない壁がある。それが、ブルドックソース。キャベツの千切りにはブルドックソースだ。天晴れだよ、貫井。


運命を変えたんだ。これが僕らのサラダ、キャベツの塔。

キャベツの塔それ自体は実に猛々しい。しかし近くに寄ってじっくりと見てほしい。これはもはや千切りではない。キャベツの万切りだ。それほどまでに細やかにカットされたキャベツに宿るのは、人々の善の力。
それに巻きつくは、生ハム。薄切りピンクの奥に見え隠れするキャベツにエロスさえ感じさせるこの肉の衣は、健全な魂を宿らせんとするキャベツを支えている。
そして塔のてっぺんから豪快にかけられたブルドックソースは、キャベツの魂をドライヴさせるエンジンそのもの。これがあって初めてキャベツは食える。


僕と貫井は力強く握手を交わした。

カナちゃんは塔を見ながら、首をかしげていた。ブツブツと何かを言っていた。


「うまいよ。春キャベツは確かにうまい。だけど生ハムは合わねぇと思うんだよな。」


カナちゃん、ごめん。


-おわり-

➡︎レタスとキャベツは見分けられなくてもいいんだよ


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