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「情報の中抜き」、その行方は?

過去20年間にわたる「インターネット・ビジネス」の観察・研究の中で、個人的に最も興味をもったビジネス分野をひとつあげるとすると「デリバリー」だ。「デリバリー」という言葉は広範囲にわたるサービスおよび業態をカバーする。古くから日本にある「出前」や「酒屋さんの御用聞き」が定期的にお酒やお米を届けてくれるサービスも「デリバリー・ビジネス」だし、アマゾンなどのネット通販も「デリバリー・ビジネス」だ。また、アメリカでは90年代にステープルズやオフィス・デポなどの「オフィス・スーパーストア(文具の量販店)」が店舗からスモール・オフィスへの配達を始めたが、これらがアメリカでは「デリバリー・ビジネス」のはしりであったといえるだろう。

今、アメリカで最も注目を浴びている、そして今後もその関心と活動レベルはどんどん高まっていくであろう分野は「ローカル・デリバリー」だ。スーパーから食品や日用雑貨などを届けてもらう、レストランから食事を届けてもらう、それに加えて、商品カテゴリーに限らずありとあらゆるものをおうちに届けてもらうサービスが、今後さらに生活者に望まれるとともに、ビジネス好機の掌握を狙う起業家にとっては「おいしい」分野になっていくだろう。

コロナの感染が拡大して、「人がたくさんいる場所に行く」ことに多くの人が恐れを感じ始めたことから、アメリカではデリバリー・ビジネスに一気に火がついた。車社会のアメリカでは、一部の限られた都市部を除いてはほとんどの人が自家用車をもっており、自分の車で通学や通勤をしているから、「最寄りの店舗からわざわざモノを届けてもらう」ローカル・デリバリーに対しては「もったいない(料金を払うのがもったいない)」という心理的なハードルがあった。しかし、コロナ以降は、そのハードルが取り除かれたことで、「スーパーからモノを届けてもらう」「レストランから食事を届けてもらう」などはごくあたりまえになった。

そうなると、次にやってくるのは、「スーパーやレストラン以外のお店からもモノを届けてもらえないか」ということだ。小売店舗でいえば、「チェーン店舗」だけでなく、我々が「パパ・ママ・ストア」と呼ぶ小さな個人経営のお店からも、ある意味「無差別に」モノを届けてもらえないかという欲求が生まれてくる。

ビジネス的にそろそろと始まりつつあるのは、「コンビニ・デリバリー」だ。コンビニで売っているようなもの、必ずしも「今すぐなければならない」という必需品ではないが、「いますぐ欲しい!」というタイプの商品を発注から30分以内にデリバリーしてくれる。たとえば「アイスクリーム」などだ。(実は我が家の24歳が、『アイスクリーム・デリバリー』をたのんでいるのを目撃してびっくりしたことがある。)「インスタカート」のようなオンデマンド・ビジネスは現在、最短で「発注から2時間以内」くらいの時間枠で動いているが、2時間と30分、この差はおそらく大きいのだろう。「即時的な欲求」を満たしてくれるサービスに対する需要がますます高まりつつある。「今すぐ」届けてもらえることに対し、高い配達料を払う価値がある、という「価値観のシフト」が起こっている。

(ネット以前の世界で、よく引き合いに出される例で、自販機は普通の店舗よりも割高かもしれないが、すぐに買える=欲求を満たしてくれることに価値があるから、人々はその代償として多少割高な価格を払う・・・ということを考えれば、これはそんなに新しいことではないのかもしれない。)

アメリカで「コンビニ・デリバリー」といえば、「コズモ・ドット・コム」が思い浮かぶ。コズモは1998年にニューヨーク州ニューヨークで設立され、発注から一時間以内に、しかも「配達料無料」で届けてくれるという触れ込みでビジネス界の好奇心をわしづかみにした。小口のオーダーを、「タダで」デリバリーして採算が合うはずがない、と疑う声も多かったが、それは「ネット・バブル」の全盛期のこと、投資には事欠かず、アメリカ国内の18都市でサービス運営をするまでに至ったが、2001年、バブルの崩壊で投資が干上がったこともあり倒産の憂き目を見た。今、起こっていることは、サービス形態としては「コズモ」と大差ないわけだが、違いはどこにあるのだろう。デリバリー周りのテクノロジーの進歩もあるだろう。また、デリバリー・ビジネスに対する生活者意識の進化もあるかもしれない。コズモのビジネス・モデルは「早すぎた」のかもしれない。おそらく、1998年~2001年に比べれば「発注から30分~1時間以内のデリバリーという『コンビニエンス』に対してなら多少高いお金を払ってもいい」と感じる生活者はより多く存在するだろう。

今日づけ(米国時間2月10日)のニュースで、ライドシェア・サービス大手のリフトが、「B2Bオン・デマンド・デリバリー・サービス」の試験運営を開始するとあった。

コロナの影響で、人を運ぶ「ライドシェア」ビジネスは多大な打撃を受けているから、モノのデリバリー事業に参入するリフトの動機は想像に難くない。

すでに先週、書いたように、競合のウーバーはレストラン・デリバリー市場の掌握に力を注いでいる。

「B2Bオンデマンド・デリバリー・サービス」とは、ローカル店舗を顧客として、彼らの顧客である最終消費者(我々のような一般生活者のことだ)に対するデリバリー・サービスを請け負う事業のことだ。

ローカル店舗がネットで最終消費者からオーダーを受け付け、リフトのプラットフォーム上で、「乗客」として車をオーダーするのと同じような感覚でピックアップをオーダーする。

すると、その時に手の空いているドライバーが割り当てられ、店舗から商品をピックアップするとともに、最終消費者の手元に届けてくれるサービスだと想像される。

同じようなサービスをウーバーでも数年前に試験的に提供していたが(ニューヨークのみ、というような限られた範囲だったと記憶している)、採算が合わなかったのか、サービスは本格展開の日の目を見ずに中止された。

ドアダッシュ、グラブハブ、ウーバーイーツなどは、「顧客」をレストラン(フードサービス)、対象となる「商品」を「食事」に限定しているだけで同様のモデルだ。これらのプロバイダーは、受発注のプラットフォームを提供し、そのプラットフォーム上でネットワークに加盟しているレストランを「カタログ化」して最終消費者に提供する。さながら、「レストラン・デリバリーのショッピング・モール」という感覚である。

こういうモデルで現在、大きな問題になっているのは、これらのプラットフォーマーが店舗に要求する「料金」の高さと、情報の不透明性だ。最終消費者は、これらの会社のプラットフォームを通じて発注するため、顧客の情報(個人情報ならびに購買行動データ)はすべてプラットフォームの運営主が握ることになる。

「中抜き(disintermediation)」という言葉はなんら新しい言葉ではなく、かなり以前から存在した。しかし、かつての「中抜き」とは、たとえば製造業者が中間業者を通さずに最終消費者にモノを直接販売するといった、「モノの流れ」における「中抜き」だった。

しかし、今日の「中抜き」は、少なくとも争点になっているのは・・・「情報」の「中抜き」である。いつの時代も「情報」を握っている者が一番強い。したがって、「情報の中抜き」はある意味、「モノの流れの中抜き」よりもずっと怖いものだ。

だからこそ、アマゾンのマーケットプレイスで商品を販売する多くの「セラー」にとって、アマゾンが顧客情報と顧客接点を握る存在であることが大きな脅威になっている。また、より新しい例では、スーパーマーケットを中心としたオンデマンド・デリバリー・プラットフォームのインスタカートが、顧客情報と顧客接点を掌握する新たな「パワー・プレイヤー」として脅威として受け止められている。

そこで、リフトが提案するのは、ネットワークに所属する店舗との「顧客情報の共有」だ。「最終消費者との直接的な関係を大切にしたいお店と共存共栄していく」ことを目標として掲げている。

アメリカでは、「レストラン・デリバリー」の市場規模が過去二年間で三倍以上に膨れ上がった。2023年までにこの市場は630億ドル(6.6兆円)に達するという予測もある。

リフトが目指しているようなサービスは(そして、ウーバーがかつて試験ベースで提供した類のサービスは)、レストラン・デリバリー大手のドア・ダッシュもすでに実装している。ドア・ダッシュのプラットフォームを介さずに、自社のチャネルでデジタル発注を受け付けている会社や店舗が、ドア・ダッシュの「デリバリー」だけを利用できるというサービスだ。(そしてドア・ダッシュは「コンビニ・デリバリー」にも参入している。)

リフトのサービスの全貌はまだ明らかにされていないけれども、ドア・ダッシュと真っ向からぶつかることになるのは確かだ。ビジネスの世界でも「エコ・システム(生態系)」という考え方が重要になってきている。自らが係わる企業(あるいは生活者)を搾取することで、一時的には売上も利益もあがり、「成長」できるかもしれないが、長期的な目で見て維持可能なモデルではない(例えばレストラン・デリバリーが成立するためには、「ミール(食事)」を提供するレストランが必要だ。)

生態系のバランスを壊さないように、市場や業界全体としての進化を可能にするサービスを提供する「エネイブラー」に軍配があがることを、個人的には祈りたいものだ。


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