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「下町」を理解していなかった


筑波亭∴(ち)らくです。
「∴」で「ち」と読ませるのは、私が人文地理・地誌学を専攻していることに因んで、地図記号の茶畑から取ってきています。
せっかくの機会に何を書こうかということで、落語と地理についてぼんやりと考えたことを書きます。

1. 落語の登場人物と我々では場所の感覚も違う!?

既に持照良さんが書いてくださっておりますが、落語に敷居の高さを感じるという理由の一つは、古典落語と現代の「大衆」の感覚の差が大きいこと。自分は、中学・高校に落語を披露する国語の先生がいたこともあり、落語そのものに敷居の高さを感じることはなかったが、それでも多少ギャップを感じることはある。

例えば、「出てくる単語が分からない」ということ。
裏長屋、お大尽、粗忽、卓袱、花巻などの単語を知らない、あるいは知っていても上手く頭の中でイメージが湧かないなんてことがある。現代で集合住宅といえば長屋ではなく, マンションやアパート。蕎麦屋で定番メニューといえば卓袱や花巻ではなく、「きつね」や「たぬき」だ。落語は話や身振りなどから想像を膨らませるものだが、分からない単語が多くなると頭の中で上手く話のイメージが作れなくなる。

そして、分かっていないものは道具や蕎麦のメニューに留まらず、話に登場する地名や場所さえも当てはまることに気づいた。現代と江戸時代では移動経路や手段が異なり、現代の東京に立つ人々の多くが江戸時代の町人たちと生活圏さえ異なっているだろう。主観に過ぎないが、以下に現代東京と江戸時代の町人(古典落語に登場するような)の移動手段と主要な場所を挙げてみる。

【現代】
移動手段: 鉄道
主要な場所: 霞ヶ関・永田町・丸の内などのいわゆる「都心」、新宿・渋谷・池袋からなる「副都心」、その他、秋葉原や原宿といった特徴的な街
【江戸の町人】
移動手段: 陸路+水路
主要な場所: 芝、日本橋、人形町、深川、神田、上野、浅草、吉原

現代だと、官庁やオフィスビルの集積地を除けば、山手線沿線の地名が真っ先に思い浮かぶ。一方で、落語に登場する場所は、いわゆる「下町」である。そのなかでも地名に挙がるのは、大きな寺社仏閣が存在するか、街道や水路沿いであることが多い。鉄道を軸に考える現代人と、街道や水路を軸に考える江戸の町人とでは、同じ「東京」という土地に対する認識が異なっている。つまり、同じ「東京」でも時代によって行動パターンが異なるため、現代東京に住む私は、落語に登場する地名を知っていても馴染みが薄く、うまく想像できていないのだった。分かりやすい例を挙げるなら、「夕方、丸の内を後にして同僚と新橋に移動し…」と聞けば、仕事終わりに飲み会かなと様子がありありと思い浮かぶが、「柳橋から向島まで…」と聞いて隅田川を船で移動しながら花街に向かう場面を連想するのは難しいといった具合である。

水上バスや都内の川の周遊クルーズの宣伝文句では、”いつもと違う視点で東京を眺める”なんてことを耳にすることがあるが、その「違う視点」が無意識のうちにこれほど隔絶したものになっていたことに気づき、愕然とした。

2. 話の舞台を歩いてみる

個人的に、古典落語の舞台を散歩してみることで、話の背景がとても理解しやすくなった(いわゆる「聖地巡礼」というやつ笑)。
舞台を歩きつつ、説明書きを読んだりすれば、位置・距離関係や移動経路の選択肢、その場所がかつて果たしていた役割、行事などが分かるようになる。そして、話と合わせて江戸の生活や街の様子を想像上で追体験できるかもしれない。

例えば、「初天神」は事前知識がなくても分かりやすく、面白いお話だと思う。しかし、この話の舞台は毎月25日に行われる天神様の縁日のうち、最初(1月25日)の祭りだと知ったうえで湯島天神に行ってみると、今も境内に変わらず屋台が出ている様子に、飴をせがむ息子や団子屋を困らせる父親の姿を連想するようになった。向島や吉原には今もなお料亭街・遊郭の名残が残っていた。また、「船徳」、「鷺とり」、「お見立て」など途中で舞台が移動するお話では特にイメージが明瞭になるのではなかろうか。

とりわけ、浅草という街は落語の世界観へ最も簡単にアクセスできる場所だ。寄席でお馴染み、浅草演芸ホールもさることながら、浅草寺、仲見世、三社祭り、花火大会、駒形どぜうなど江戸の頃から続く遺産の数々が、こちらが積極的にアプローチせずとも分かりやすく現れてくれる。吾妻橋から水上バスに乗れば、かつてのように水の上から東京を眺められる。

実際に街を歩いてみると、落語に限らず東京の街自体への見方・捉え方が変わったり、思いがけずお気に入りの新たなスポットやお店が見つかることもあった。

筑波亭∴らく

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