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白血球が無くなったときの話 4

白血球の数値が0を示してからというもの、「生きること」と「死ぬこと」について、一種の落ち着きをもって、考え始めました。

今ここで私がどんなに泣き喚こうが、何をしようが、
それが自分の生死には何の意味も持たないことは分かっていたからこそ、何とも言えない不思議な冷静さがありました。

白血球が0の間に、肉眼では見えない菌が私の体内に入るか入らないか。
そんな事は、本当に神様にしか分かりません。

ただ、死の縁にいるんだということ。
それを実感すると、人間というものはこれまでの自分の人生を振り返ります。

私はその時、自分の人生に対して特別の達成感なんてなかったけれど、特段不満もなく、
「まぁ、これが私の人生だったんだな」
と、潔い気持ちでいました。
そう思うしか、なかったのでしょう。
ただ、そう感じると同時に
「物事の悩みに費やしてきた時間は、なんて無駄だったんだろう。こんなに沢山要らなかったな。」とも思いました。
だから、もし命を落とす時は、その寸前に「人生、マジで楽勝!」と書き残そうと決めていました。

これからも生きる道が続いてる人達に、悩むことに大事な時間の大半を割いて欲しくないと思ったからです。

しかし、たった1つ後悔がありました。
それは何の親孝行出来ないで、この世を去るんだなぁということ。

大学に入れてもらったにも関わらず、就職するでもなく、大学卒業後にはアルバイトしながら、プロダクションに入ってエキストラのようなことをして、
その後劇団に入るも、お金がなく、色んな支払いは滞り、生活苦。
挙句、正劇団員昇進審査に落ち退団を余儀なくされて、何もなくなった28歳の私。

親孝行どころか、ただの迷惑。安心の1つもさせていない。
そこで、初めて生じた疑問。

「…私って、なんで生まれてきたんだろう?」

こんなことをする為に、生まれてきたんだろうか?
こんな私って、一体なんなの…?

思えば思うほど、急にとてつもない情けなさが私を襲い、涙がボロボロと零れます。
堪らない恥ずかしさに、泣き続けるばかりでした。
しかし、泣いても泣いても、この個室のビニールハウスは、何も答えてくれません。

その翌日、いつも通り点滴を変えに来た看護師さんを目の前に、私はつい、抱えきれなくなった感情が溢れてしまいます。

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