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ダメ論でなく10年後、20年後の再生・浮揚・復活プロセスを語ろう 13年前、上海で撮影した写真から思うこと:佃均

写真は筆者 高層ビルと闊歩する女性たち 上海の下町(貴州路):2011年7月

  トップに載せた写真は、中国・上海の景色です。
 撮影したのは復旦大学で国際ソフトウェア工学会議が開かれた2011年7月、場所は「貴州路」という古い繁華街です。観光客があまり立ち入らない庶民の街に足を踏み入れたのは、ソフト・電子産業の取材を兼ねて現地ならではのお土産を探すためでした。
 古めかしい街並みと高層ビル、胸を張り短パンで闊歩する女性など、高度経済成長真っただ中の中国そのものです。当時の中国は国民総生産(GDP)で世界第2位に踊り出た直後、上海万博を機に高速鉄道や高速道路の整備が進み、全国あちこちが高層ビルの建設ラッシュ。ですが国民1人当たりGDPは100位以下、いわゆる“貧困層”が4千万人といわれていました。「不動産バブルがはじけるのはいつか」が話題になっていたころです。 
 もう一つ、当時の中国を語るのは写真の右端に写っている赤い帽子の女性です。
 彼女はルイビトン風のバッグを斜めがけに、ジーンズ、白いグッズと今風の装いですが、天秤棒を肩に、道行く人たちに果物を売っているのでした。ちょっと離れると荷を運ぶ牛車や馬車の姿もありました。高層ビルと天秤棒は、その象徴だったように思います

■アジア諸国から「選ばれる国」だった
 国際会議で話題となったのは、コマツが開発したIoT(Internet of Things:モノのインターネット)型建設重機管理システムや、新幹線/山手線のダイヤ編成・管理システムでした。日立製作所のソフト品質管理手法も注目されました。日本から参加した技術者や研究者がセッションのリーダーを担当するなど、アジアの国々にとって日本は“先生”のような立ち位置でした。
 日本と韓国、中国の政府間で結ばれたソフトウェア協定は、韓・中の研修生を日本が受け入れるものでしたし、そうした研修生が帰国せず、日本で起業することも珍しくありませんでした。そのなかから株式を上場した成功者も出ています。
 あるいは日本からプログラム開発を受注したり、エンジニアを日本に派遣するIT企業が雨後のタケノコのように登場し、日本のソフト会社も現地法人を設立するケースが相次ぎました。中国、韓国ばかりでなく、その動きはフィリピン、ベトナム、タイ、インドネシアなどに広がって行きました。
 わたしたちIT系の報道関係者は、業界団体や経済産業省に「国内の多重下請け構造をアジアに拡散していいのか」と問いかける一方で、アジア諸国から頼りにされていることを密かに喜ばしく思っていました。少なくとも2011年まで、日本は「選ばれる国」だったと思います。
 ところがこの数年、「撤退」「縮小」といった話を耳にすることが多くなっています。

■COVID-19禍が“日本離れ”に拍車
 縮小、撤退とはフィリピンやベトナムに設立したIT子会社の話です。国と国が取り決めた研修生制度の延長線上にあった国際分業――そういえば聞こえはいいのですが、実際は越境下請けや派遣要員の調達が目的でした。一時期は多くの人材が「日本語」という難問を乗り越えてやってきたのですが、最近はどこを目指すか、給与が決定的な要素となっています。
 この10年、アジア諸国の経済力ないし給与水準(生活水準)が急ピッチで向上しました。韓国の平均年収は日本より上ですし、国力や市場規模から中国は日本に仕事を出す立ち場にあります。アジア諸国の給与が上昇したので、日本の事業にとってはメリットが低減しています。
 ざっくりいうとバブル経済の崩壊から30年、リーマンショックから20年、東日本大震災から10年このかた、日本の経済・社会は足踏みを続けています。IT分野ではネット系サービスの台頭はありましたが、既存産業の機能の一部を代替しているか市場を奪っているだけで、新しい地平線を開拓したとはいえません。
 COVID-19(新型コロナウイルス感染症)禍に進展したテレワークとフリーランスの働き方が“日本離れ”に拍車をかけました。同じ下請けでも、英語をマスターすれば居ながらにしてアメリカ企業から仕事を請けることができます。
 ――受注額が格段に違う。アメリカの仕事に就くと、30万円、40万円の給料はザラ。とても当社が支払える額ではない。
 撤退を決めたソフト会社の社長は言います。
 そこで最近はイスラム文化圏が注目されています。アメリカ一辺倒でなく、平均給与が低いというのがその理由です。なるほど、当面の逃げ道ではあるのでしょうが、本体(国内経済)がダメなら元も子もなくなってしまいます。

■中・長期計画でシステム化人材を育成すれば
 首相の大号令に靡いた大手企業が昇給に踏み切っても中小企業には及ばず、諸物価値上げと増税で帳消し。GDPの2倍を超える借金、名ばかり「改革」の現状維持とご都合主義的マウンティング、昭和な商慣習やビジネスルール、保守・旧守・伝統主義がDX(デジタル・トランスフォーメーション)を阻害しつつ、“2025年の崖”まであと1年、二進も三進も自刎自爆もなりません。
 出生率1.20で「ダメ」論がますます喧しくなることは疑いを得ません。
 ここがダメ、コレがダメ、あそこもダメと言い募るのは比較的簡単で、快哉の拍手を得ることができますが、必要なのは縮退経済の理論と10年後、20年後に再生・浮揚・復活するプロセスでしょう。データに活路を求める、破壊的創造者の登場を期待する等々はあるにせよ、極東の資源小国が世界の荒波を乗りきって行くには人材しかないように思われます。
 中国は2010年から、総力を挙げて毎年2万人のシステム工学人材を育成しました。社会・経済を工学的に分析し、システム化する人材です。法律も制度も工学的にシステム化されて行きました。コンピュータ・システムはその一部を構成するに過ぎません。
 政治体制の可否は別として、我が国に必要なのはシステム工学人材ではないかと思います。いまさらジタバタせず、10年、20年の中・長期計画で人材育成に取り組めば、今世紀中葉に日本は再浮上のチャンスをねらうことができるかもしれません。

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