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子どもに「大人なんだから」と言われたら

「ママ、なんでわかんないの?大人なんだからわかるでしょ」

「大人になってもわからないことはたくさんあるよ。子どものあなたが知っていて、大人のママが知らないことだってある。それに、世の中にはまだよくわかっていないことも多い」

「わからないことがあってもいい。わからないって言ってもいいんだよ。」

「大人だってできないがたくさんある。でも、それでいい。好きなことができていれば、それで十分。ママは、車の運転が上手じゃないけど、文章を書くのが大好きだよ。あなたがお手紙を書いたり、縄跳びをしたり、お料理をするのと一緒。それができれば、よーし、今日もあなたと楽しく遊ぼう、美味しいごはん作ろうって思える」

「そうなんだ。ママ、文章書くの好きだもんね。土曜日朝コーヒー飲んできていいよ。だから、お昼はラーメン作って」

「うん、もちろん」

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5歳になった娘との会話。

たまたま娘がそうなのか、子どもというものはそうなのか、彼女は俗にいうステレオタイプ。元来人間は「逃走か闘争か」というシステムを持っているので、必然とゼロかヒャクといった思考に至ってしまうのかもしれません。

でも、現代はそのゼロヒャク思考が、自分を苦しめる原因となるのです。理想とする形にならない自分を責めることも、ものごとを知らない相手をののしることも。

「こうであるべき」がデフォルトであると仮定するならば、柔軟に生きることは、後天的に身についていくものなのではないかと考えます。

台湾のコロナウィルスの政策に大きく貢献したオードリー・タン氏は『まだ誰も見たことのない「未来」の話をしよう』の中で、「両親は、良いも悪いも判断しない人だった」と述べています。それが、今のオードリー氏の形成に大きくつながっているのではないかと痛感しました。

娘を見ていると、不自由に生きていた若いころの自分が思い出されます。しかしながら、これから感じるであろう娘の不自由さをゼロにすることはできません。彼女の人生ですから。

でも、「大人なんだから」「子どもらしく」「もう赤ちゃんじゃないんだから」…そんな言葉で片付けずに、一番身近にいる存在として、やわらかにしなやかに生きていく術を、押し付けないように伝えていきたいと思っています。それくらいしか、できることはないんですよね。

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