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自己開示をしたい理由はなんですか?

自己開示のある文章を読むと、心が惹きつけられますよね。なかなか興味深いことが書いてあるなーとか、えーこの人にもこんな苦い経験があったんだーとか、なになに、血液型O型なの?一緒じゃーんとか。親近感が沸いたり、その人のことをもっと知りたい、と思うきっかけになります。

しかしながら、自己開示=「これまで経験してきた苦しみ」と捉えている方もわずかながらいるのではないかなとも感じています。でも、それだけじゃないですよということを今日はお伝えしたいのです。

私には中学・高校とお世話になった整体の先生がいます。若き頃の先生は、上京しミュージシャンを志していたそうです(松山千春世代なんだそう)。そしてよく、

「俺は暗い曲ばっかり歌ってたな。はるちゃん、楽しい曲って言うのはなかなか作れないんだよ。人は哀しいことばかり書きたがるんだ」

と話していました。

全ての人がそうではないと思うのですが、人というのは、楽しいことよりも哀しみや苦しみを表現したくなるものなのでしょう。私もそうです。失恋した時の日記は、なんでこんなに長いのってくらい書いていました。でも、書けちゃうんですよね、不思議と。

どうしても、ネガティブな事柄に文章は寄せられていきます。けれども、今の時代はネット上に掲載するわけですから、不特定多数の人が目にします。辛かった出来事も、もう笑い話にできたり、ふっきれているのであれば、自分の心の内を書いてもいいでしょう。でも、そうでなければ、無理をしないでほしいと思うのです。

私の文章は、けっこうあきっぴろげに自己開示しているように見られます。それは、その事象についてはもう気にしていないからです。笑い話にできることだけを書いています。まだまだ言葉にできないこともたくさんあります。口にすれば、それが再び訪れたり事実になってしまうのではないかと思って、下書きのままの記事もあります。だから、そういうものは開示していませんし、一生しないかもしれません。

自己開示は苦しいことに限ったものではありません。好きな食べ物や趣味、こんな暮らしに憧れるなとか、最近こんな本を読みましたとか。「私」が主語であれば、それは自己開示だと思っています。

一つ、質問があります。あなたは、なぜ自己開示したいのですか。私が自己開示する理由は、私のことを知ってもらい、そんな私を好きになってくれる人と繋がりたいからです。

記事を読んで「なんか違うな」「自分には合わない」と思う方もいらっしゃるでしょう。でも、それでいいのです。飾らない私とお付き合いしてくれる人が一人でもいてくれれば御の字なのですから。そこに自己犠牲はありません。消化しきれていないことについては、無理をしてまで開示しなくてもいいのですよ。どうか、自分の心を大切にしてください。


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