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つくば移住物語|②移住に対する妻の見解

前回のつくば移住物語の記事では、2つのモデルハウスを通じてつくばへの移住を現実のものとして検討することになった話を書いた。今回は、そのサイドストーリーとして我が人生の伴侶である妻の思いを推し量りながら、綴ってみようと思う。


地方出身者の僕らが見ていた東京という街

僕と妻は、大学1年のクラスの同級生という関係だ。出身はそれぞれ茨城県と群馬県という、北関東カップルである。当時僕らの世代にとって、東京という街はただただピュアに、憧れだった。「こんな田舎必ず出ていってやる」そう思っていた。

それは妻も同様で、付き合ってからも何度もその話をしてきた。
結婚してからも、地方移住などということは僕も考えたことがなかったし、一度も話したことがなかった。そもそも大学卒業後、2人とも都内の企業に就職していることから、選択肢が現実的に存在しなかった。

厳密に言えば「仕事なんか選ばなければどこにでもある」ということになるが、現代社会でその決断はそうそうできない。一念発起で農業をやる、人手不足の業界へ一人飛び込む、その類の地方移住ではないのだ。

妻にしても、人生のおよそ半分を過ごした東京に友達も多く、仕事にも大きな不満はない。生活に不自由のない東京に不満もない。となると、わざわざ自分が望んで出ていった田舎に戻る理由は一つもない。それが実家近くならまだしも、つくばという無縁の街ならなおさらだ。

自分に置き換えて考えても、「ごめん、ちょっと何言ってるかわからない」というレベルの話だったといまにして思う。

東京の日常に対する感覚の変化

東京で生きていく日常の現実

田舎の良さ、自然の良さを見出し始めたのは、年齢によるものが大きかったように思う。朝のラッシュや終電までの残業、夜な夜な続く仕事の付き合いにさえ、「自分は東京で生きている」という美観のような感覚を抱いていた20代が終わり、ある日から思い始めた。

「この日常はいつまで続くのだろう」

憧れが日常に変わった頃、その日常にどこか疲弊した自分がいたのだ。
より高い給料、より良い環境、より良い上司、より高いスキル、より良い明日の自分を求め続け、転職を繰り返した僕の現実だった。

妻は僕とは異なる感覚だった。新卒入社の一部上場会社に10年以上勤めていた妻は、転職を繰り返す僕が危うく見えたのかもしれない。いつの日か「万が一何かが起きたら自分が頑張るつもりだった」と言ってくれたことがある。

おお、妻よ。いつも無計画な僕を支えてくれて本当にありがとう。心の底から感謝します。

そんな妻にとっても一戸建て住宅は子供の頃からの夢だ。危うい日常を送る僕とは異なり、妻は確かに毎日を生きている。子供を育てている。家族を育んでいる。
この日常を維持し、その延長に一戸建て住宅がある感覚だっただろう。当然だ。よもやまさかの、夫である僕のご乱心に思えただろう。

子供の成長と家族の変化

妻が最終的につくば移住を検討できた理由の1つには、子供の成長がある。

日常の疲れを癒やす、休日の子供との時間。この頃僕ら家族の休日は、東京近郊の公園巡りの時間となっていた。墨田区や台東区葛飾区はもちろん、江東区、昭島市、三郷市、船橋市、さまざまな公園に行った。

子どもたちはその度に、アスレチックで遊び、昆虫を捕まえ、鳥を追いかけ、泥だらけになって遊び、満面の笑みを浮かべていた。馬(ポニー)に乗ったりうさぎや鶏、モルモットを抱っこもした。

子供とこうした休日を過ごして来たことで、「うちの子にとっては田舎のほうが合うのだろう」という考えが僕ら2人には生まれていたのだ。

長男の小学校入学まで残り1年半。家探しが本格化するタイミングは、子供が日々を追うごとにアクティブになっていく時期でもあった。

2つのモデルハウスへの見解は見事一致

こうした状況の中、僕らは例の2つのモデルハウスを見た。僕の心は動いたわけだが、話は2人の夢である住宅購入だ。果たして妻はどう感じたのか。
2つのモデルハウスを通じ、妻はそれぞれこうコメントした。

1つ目のモデルハウスについて
「確かに日常をイメージできた。こんな毎日も良いのかもしれない。」

2つ目のモデルハウスについて
「確かに素敵なお家だった。」

なんと、妻の心もまた、動いていたのだ!(と思う)

そうだろうそうだろう、人生の伴侶である妻よ、君と結婚して良かった。

「でも田舎はやっぱり無理」

そうだ…ね。うん。

あくまで意見が一致したのはモデルハウスである。場所については要検討ということだ。

しかしその後、妻の気持ちをじっくり聞くでもなく、大して知識もないくせに、無駄に田舎の良さについて力説を始めてしまった僕は、間違っていたと思う。

そもそも、冒頭で妻の思いと偉そうに上から目線で言っておきながら、結局自分の思いを中心にここまで書く。ここまで書いてみて、やはり僕はその程度の器の小さな人間なのだと実感した。

この物語が終わる頃には、自分のこれまでの行いを改めて振り返った事で、ほんの僅かでもまともな人間になっていることを切に願う。

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