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【005】「演技」と「脚本」に欠かせない3つの深層心理学とは?

#すべクリ【002】で「自分の深層心理を探ってみましょう」と書きましたが

自分と物語自分と役 深層心理を探究することは、演技や脚本が薄っぺらいものになるか、深みのあるものになるかを決定づける、非常に重要なプロセス ですよね。

キャラクターづくりの上で「表心理」「裏心理」は必ず意識していると思います。例えば、戦地に赴く出征兵士だとすると。

【表心理】家族・恋人・友人の前で勇ましい姿で旅立ちたい。(世間体)  →「お国のために立派に戦って参ります!」

【裏心理】恐い、死にたくない、行きたくない。(本心)  →  列車が出発して1人になると、足が震えている。

までは標準プロセスですよね。ではその臆病な主人公が、戦地で自ら特攻に志願するのは何故でしょう?「雰囲気に流されて」や「自暴自棄になって」はナシだとします。

何故なら、物語の 動機づけが薄い から。「動機付け」こそ、俳優・脚本家の腕の見せ所です!

今日は、物語の重要局面で、主人公が重大な意思決定をする時に、避けて通れない「動機付け」の手がかりとなる、深層心理学 のお話。

① フロイトの「個人的無意識」


フロイトって誰? という説明は割愛して・・。
超ザックリ言ってしまうと、フロイトは

人には 「意識」と「無意識」 があって、行動や言動、意思決定には「無意識」がめっちゃ影響してる!と、気づいた心理学者です。

「無意識」= 自分が気づいていない
「観念」「情動」「記憶」など

それらはなぜ「無意識」なのかと言うと・・

「意識」にとって都合が悪いから
  心の奥に格納されてる

とフロイトは考えました。つまり「無意識」って概ね、なんか嫌なこと なんですよ。

しんどかったこと、苦しかったこと、悔しかったこと、恥ずかしかったこと etc...  それらの「無意識」は、時が経てば忘れ去ってるようで、心の格納庫にへばり付いて蓄積されている

そしてある時、何かのスイッチによって、
「意識」に浮上してくる。


フロイトは、浮上はダイレクトではなく「前意識」というフィルター を通して、マイルドな形に変換されて、ジワジワ浮かび上がってくる。そのフィルターの1つに「夢」があると考えました。

そうなんです、物語に出てくる「夢」のシーンって、ほとんどが ©フロイト なんですよね (笑) 

ただ、夢のシーンがなかったとしても、

◇ 登場人物の「無意識」に何が隠されていて
◇ 何がスイッチとなって
◇ どのタイミングで、どうやって浮上し
◇ どういう行動・言動を引き起こすか?

を考えることは、脚本においても演技においても、欠かせないポイントだと僕は思います。

② アドラーの「劣等感」


フロイトと来たら次はユング、なのですが、先に アドラー に行きます。心理学ご専門の方が読まれていたら、色々かっ飛ばしてスミマセン。

実は、役作りに密接に関わるのは、アドラーの心理学 なのではないか? と僕は思ってまして・・

アドラーは、個人の心の内部 における 主体的な人格形成 を重視した心理学者で

個人の心の、内なる意志の力によってもたらされる「劣等感」を原動力とした、弱点の克服補償作用のうちに、根源的な心的エネルギーがある。

ぶっちゃけ 人間の原動力は「劣等感だ!」
と言い放った人です。(← 雑w)

のび太が「どうせ僕なんか・・」と諦める、ジャイアンが暴力を振るう、スネ夫が金持ち自慢する。アドラーに言わせると、これらは全て
「補償作用」劣等感をカバーする行為 です。

そして、映画版「ドラえもん」のクライマックスで彼らが奮い立つのは、「弱点の克服」劣等感から脱却するための行為 です。

更に言うと、物語における「劣等感」って、共感を呼びやすい んですよね。

「ドラえもん」で、しずかちゃんや出木杉君を心底、応援したことってあります? 僕はないですw

彼らは、脚本セオリーで言うところの、絶対に主人公にしてはいけない「パーフェクトマン」=「劣等感」のないキャラクター なので。

逆に、勉強できない、人徳ない、ブサイク、金持ちじゃないという「劣等感」を、腕力と虚勢でカバーしているジャイアンが、ふとした瞬間に弱さや優しさを見せると好きになっちゃいますよね。

余談ですが、同じ理由で僕はバットマンよりジョーカーの方が好きですw

脚本を書く時、役を演じる時、そのキャラクターの「劣等感」を見つけることができると、行動や台詞の根源となる心理 が掴めて、リアルに動き出してくれたり、お客さんに愛されるキャラクターになるかもしれません。

③ ユングの「集合的無意識」

フロイトとアドラーは、個人的な深層心理 を重視していましたが、ユング は言いました「いやいやいや、もっと深いところに、人類共通の深層心理 があるでしょ」と。

それが、「集合的無意識」です。

原始的なことで言うと、太陽を崇めるとか、暗闇を恐れるとかですが、例えば、世界中どんな人でも「ドミソ」の和音は明るい、「ドミ♭ソ」は悲しいと感じるのも1つの「集合的無意識」です。

学術的な「集合的無意識」を理解する必要はありませんが、「個人の無意識」の奥深くに「集合的無意識」がある、という概念は、物語づくりにおいて重要だと僕は思います。

ユングのテーマは「人類普遍の」ですが、作り手が、作品によって考えるべき「集合的無意識」はもっと 小さな単位 かもしれません。

『犬神家の一族』だったら 一族の、『八つ墓村』なら 村の、『沈まぬ太陽』なら 会社組織の

そして 日本社会の「集合的無意識」とは何か?

描かれている「集合的無意識」が 普遍的であるほど、間口が広くなり、ドメスティックであるほど、ある特定層に刺さる作品になります。(ex オタクの集合的無意識を掴んだアニメはヒットする)

日本の映像作品が、海外に売れない、受け入れられないという話も聞きますが、その一因は、そこに描かれている「集合的無意識」が、海外の方からすると「普遍的でない」からかもしれません。

ちなみに、僕は マーティン・スコセッシの『沈黙』 が嫌いです。

『沈黙』は遠藤周作が、日本人の「集合的無意識」の中に、異文化の宗教=「集合的無意識」が入ってきた時に起こる「意識」の衝突 を描いた点が秀逸な作品なので、ネイティブ・クリスチャンの「集合的無意識」ベースで描かれても、僕は受け入れられませんでした。

長くなりましたが、今回は

「演技」や「脚本」を
 深層心理学から見直してみよう。

「無意識」「劣等感」「集合的無意識」
  を検証しよう。

というお話でした。
何かのご参考になりましたら幸いです。

【追記】今現在、世界的パンデミックで皆さん苦しい日々を過ごされていると思います。でも、これって考えてみれば「全人類の共通トラウマ体験」ですよね。

この危機を乗り切った先には、また1つ、世界中の人が共有できる「集合的無意識」が形成されるのではないかと、僕は思っています。「辛い体験は必ず創作に活かされる」と信じて ――。

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