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推し活とわたし

 推し活という言葉が生まれてくれたおかげで誰かのファンであり、ファンとしてその誰かの活躍をおおいに応援することが気軽になったというか。
なんちゅーか。なんだろなぁ。推し活って
明るさを帯びている言葉のように思う。
 振り返るとわたしは常に推しのいる人生だ。初めて誰かのファンというものになったのは小1のとき。大人気だった光GENJIのカセットテープを買ってもらって、車の中でも家のラジカセでもいっつも聴いていた。「壊れそうなものばかり集めてしまうよ」なんて歌詞の意味はわからないまま口ずさんでいたっけ。それでもって田んぼの鳥避けのピカピカ光る赤と銀色だか金色のテープを母に分けてもらっておでこにハチマキのように巻いて光GENJIのうたを歌って遊んでいた。その頃ちょうど親戚だか、誰かからお下がりのローラースケートが我が家にやってきたので履いて練習したけど、足が傷だらけの青たんだらけになっただけでちっとも上達できなかった。
うむむ。その時は光GENJIの誰かのファンだとか、そういうのでは無く、
大人気の光GENJIを私も好き!くらいだった。
 それから数年…小5かなぁ。その頃、友人がSMAPのゴローちゃん
(稲垣吾郎)が好きだと打ち明けてくれた。当時、アイドルのファンであることなんて同級生の男子にでもバレると絶対にからかわれるのは百も承知。なので絶対にバレてはならぬ案件だった。んで、私もその友人の持ってる「明星」とか「ポテト」とか当時のアイドル雑誌を見せてもらってSMAPのメンバーの顔と名前が一致するようになってきた。わたし、慎吾くんが良いな。香取慎吾くんが好き!それからファンになり地元で春と夏にある縁日に行くとSMAPメンバーのだったり香取慎吾くんだけのだったりのポスターやらブロマイド写真やら買っては部屋に飾っていた。これがたぶん、私の初めての推し活だったのだろう。
 それから慎吾くんはずーっと地続きで好きだけど高校生の時はT.M.Revolutionの西川貴教のファンになり高校の帰りに寄るカラオケでは「こーごえそうな季節にきみは〜」マスラー振り回して歌ったりしていた。それから20代…前半はタッキー(滝沢秀明)も好きになったなぁ。
 それからそれから…30代になりかけていた頃、母が「嵐ってね。みんな仲良しでね。バラエティがおもしろいけど、でもやっぱりカッコイイんだよ」と帰省のたびに嵐の話をするのでほぉ…。んー。嵐の中で好きなのは…相葉ちゃん!とミーハーな感じで嵐を好きになった私の元に縁あってコンサートチケットがやってきたのだが…「ちえはしんごちゃんファンだったじゃないか、」など、ぶつくさぶつくさ母から文句を言われた。
ちなみにコンサートへ行ったらやっぱり生のアイドルはしびれる!と、
嵐のファンになった。
 さて、そんな常に誰かのファンである私が今、好きなのは藤井風である。確か…コロナ禍の頃にぼんやりYouTubeを見ていたら知った。雨の中、
無観客のスタジアムで1人、ピアノを奏でながら歌う姿にハートを撃ち抜かれた。そののち、コロナ禍の籠もり時間にYouTubeを見まくって大ファンになった。歌詞も良いし、声も良い。めっちゃ年下だけど顔も良いわ((泣))ちなみにアリーナツアーに行き、ますます好きになる。
 どちらかと言えば私は常に追いかけるほどのファンではないかもしれないけど。ぬー。これは例えがビミョーだけど。有名な絵画は図録でも見れるけど。やっぱり美術館に足を運び、実物を見るとビビっと作者の熱量みたいなものを受け取る感じと同じで推しもたとえどんなに遠くてオペラグラスで見ても姿がハッキリしてなくても生の声を聞くと明日の活力になる。よーし!また仕事がんばってコンサートに行くぞ!という感じ。その持続効果は人
それぞれかもだけど。そんな励みが生まれることが良いのだと思う。そう思うとわりと長年、SMAPのファンだったのにコンサートに行く!という行動に移さなかったのは今でも悔やまれる。
 ちなみにそんなミーハーな私だけどずっと推しているのは宇多田ヒカルである。
                    

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