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大西淳子さん歌集『火の記憶』を読む

秋の夜のそら冴えわたり目に見える月より遠し見えぬふるさと

どの季節のお月さんも美しいけれど。
中秋の名月、と呼ばれるだけあって暑さの和らいできた秋の夜の月は格別に美しい。
いまはふるさと、と呼んでいる生まれ育った土地で見上げたお月さんも今、こうして見上げるお月さんも優しい表情をしている。提出歌からは、ここまで歩んできた歳月というもの、過ぎ去った日々を愛おしむ気持ちが表れているようにも思う。


おしゃべりはおんなの秘薬みちのべの烏野豌豆さわがしく咲く

本当の夏がもうすぐ来ると言うカンナはすでに炎上しつつ

長命といえばめでたく延命といえばさびしく、雛菊の咲く

大西さんの作品には時々、色んな表情をした植物と出会える。

一首め、みちのべの烏野豌豆のわしゃわしゃとした景がコミカルに描かれている。
女子が集まって何やら秘密を打ち明けているような。その秘密を烏の豌豆の鞘に包んで秘薬にしているような、耳をすませばおしゃべりが聴こえてきそうな…。そんな気がしてくる。

二首め、この頃はどこから夏なのか時々、分からなくなる。もうすでに夏なんじゃない?いやいや、これからです、ともうカンナは夏が来る前に夏バテをしてしまっているらしい。

三首め、命の重みは同じであるのに、なぜ言葉ひとつで受け止め方が変わるのだろう。とてもデリケートな事柄に寄り添う雛菊が優しい。

母が作る大根入りのすき焼きを鼻がよろこぶ我より先に

どこにでもあるけどここにしかなくて讃岐うどんは讃岐で食べる

ふるさとの味というのは母の手料理の味と、その土地に伝わり続ける
伝統料理もそうなのだろう。
一首め、帰省をしてほっと和んでいる時に台所から流れてくる
いいにおい。まだ見ていないけれど鼻が覚えている、そう
あの頃とちっとも変わらないことを。

二首め、現在はとっても便利な世の中になったもんだから
わざわざ旅に出なくても各地の伝統料理が食べられる。
けれど、そうやっぱり違うんだよね、と。
香川ご出身の大西さんがおっしゃるのだから
やはり本場の味は足を運んで食べるべきなんだな、なんて思っている。

きれいってこんなにおいしいものなんだ谷川岳のそらを吸い込む

ペルセウス座流星群を眺めおりガラスのような月夜野の空

山あいに聳える谷川岳を眺めながら暮らしていた頃は正直、空気が美味しい!なんて意識していなかった。が、離れてみて…。
離れてゆく月日が長くなるにつれて谷川岳を見上げると広がる空、吸い込む空気が美味しいって気がついた。

月夜野という地名は合併により今は小さく残っているだけになってしまったのだけれど。そう由来は「いい月夜の〜」で月夜も星の夜も夜空の美しい土地なのです。
こんなふうに魅力的に詠んでいただけると、
私にとってふるさと、である土地なのでとっても誇らしく思える。

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