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『仰げば尊し』 「恩師」と思い出

あなたの「恩師」はどんな先生ですか?


思い出

 私には、小学校・中学校・高校と、それぞれに「恩師」と呼ぶべき先生がいました。
 その先生たちからは、褒められるよりも怒られることの方が多かったのですが、私を一人の人間として成長させる上で大きな影響を与えてくれました。
 そして、そんなに恩義を感じていたであろう卒業式の時には感謝の気持ちを込めて「仰げば尊し」を歌っていたかと言えば……それほどの思い入れも無く歌っていたと記憶しています。
 大人になってからわかるのも『わが師の恩』なのです。

信頼の絆

 恩師たちと私は、担任しているクラスの生徒ではなくて、クラス外の生徒でした。
 当時の児童数は、1クラス40人越えでクラス数も今の2倍以上。
 先生がたは、担任しているクラスの子どもたちのことですら一人一人まで手が回らない状況でした。
 そんな中で自分が担任しているクラス以外の児童にまで、手を差し伸べられるなんて全く考えられなかったのですが、恩師たちは違っていました。
 怒られている時も、ある先生からだともの凄く腹が立ってしまうのですが、違う先生(恩師)だとそんな風には感じない。
 私の中のそんな違いが歴然とした中学生の時、ある先生のはからいで「作文コンクール」の表彰を受けることになりました。
 応募すればほとんどが受賞できるコンクールです。
 私のクラスからは、私とヤンキー女子と二人の作文をエントリーしてくれたようでした。
 その頃、巷で「落ちこぼれ」と言われていた私たちに対して、決して見下すことなく、信じて支え、ここで生きていてもいいんだと自信を与えてくれました。
 当時は「信頼」なんてよく分かったのですが、今ならしっかりと分かります。

学校教育の変化

 私の子どもたちの時代、平成になってからは卒業式で「仰げば尊し」は、聞かなくなりました。
 「先生への感謝の気持ちを押し付けている」といったことで、卒業式で歌うことを避けられるようになったとか。
 この変化は、教育の場での先生の立ち位置ついて考えさせられる出来事のひとつとして、私の心にグサリと刺さりました。
 「そうか……先生と生徒の関係性って、もう私たちの時代とは変わってしまったのね」
 あの時の「恩師たち」のような方々は、もういない。
 寂しい気持ちと、同時に今の子どもたちが「かわいそう」とも思ってしまいました。
 でも、まだまだ「恩師」は、いらしたのです。

教育の一環としての音楽

 その昔「仰げば尊し」は、音楽を通じて私たちに情緒や美意識を育む大切な手段でもありました。
 「仰げば尊し」の中に『蛍の灯 積む白雪』という歌詞があるのですが、電気の通じていなかった時代に、冬は雪灯りで、夏は蛍の光で勉強をしていたのだと恩師から聞かされました。
 もちろん、私たちが学生だった頃もスタンドライトや机についているライトがあり、いつでも勉強できる環境です。
 ただ、書店に行くと「蛍雪時代」という雑誌があったので、言葉だけが残っていました。
 昔は、そんな大変な思いまでして、みんな勉強をしていたんだ……
 今の私たちは、もの凄く幸せな環境なのだと感じたことを思い出します。
 美しい旋律と歌詞から学ぶことは沢山あり、曲ができた時代の背景を知る良い機会でもあったのです。 

共有する価値観

 昨年、娘は小学校を卒業しました。
 6年間で5名の先生が担任をしてくださいましたが、皆さん異動になり今ではお一人しかいらっしゃいません。
 そんな環境の中で「(娘が)卒業するまでいます!」と約束をしてくださった先生がいらっしゃいました。
 もちろん、担任ではありませんでしたが、人見知りな娘にしっかりと寄り添い話を聴いてくれたのです。
 じつは、私自身も尖がっていましたのでカナリ酷い態度を取っていたのですが、そんな私にまで寄り添ってくれました。
 どんな人にも分け隔てなく飛び込んでくださる先生なので、在校生のお母さん達からも支持されています。
 そして、今年その先生が異動になると聞いて、先日お会いしてきました。
 「私みたいな考え方は、今は違うのかもしれない」
 「でもね、本当はそうあるべき(子どもと寄り添う)だと思うのよ!」
 まだまだあきらめてはいない声に、ホッとしている私。
 同年代の先生とは、大きく共感できます。
 だけど……今も昔もこのタイプの先生は、マイノリティーになってしまうのですね。

将来への思い

 学校も私たち親も、子どもたちに良い教育を受けてもらうために環境を整える必要があると考えているので、方向性は違っていないのです。
 ただ、その前提の中であっても「考え方」は、どんどん形が変わってきています。
 その時代ごとに「良い先生」というモデルタイプも変わってきていますし、どんな時代でも万人が満足のいく“教師”というのは存在しないのも現実です。
 特に“多様性”が叫ばれる今の時代では「学校に行かない」ことも尊重されていますから、積極的にかかわることをしないようにしているように感じます。
 私の時代では、一歩間違えれば“おせっかい”になってしまうようなことをあえてやってくれる先生が「恩師」でしたが、今は違うのです。
 タイプが違っても、娘たちの世代でそれぞれの心に残る「恩師」という存在がいると良いなと願っています。

『仰げば尊し わが師の恩』

 平成になってから、歌われなくなってしまった曲と言われていますが、実は次男の中学の卒業式でサプライズとして歌われました。
 長年その中学に勤務されていましたが定年退職されるので、先生にとって最後の卒業式となったのです。
 「先生にはこの歌が一番合っている!」
 生徒たちが自主的に考えたとの話だったと記憶しています。
 そんな出来事があるなんてことは全く知らなかった先生は、号泣されていました。
 息子たちにとって、間違いなく恩師であったのでしょう。
 私も、今では親なのですが娘の学校でお世話になった先生は、間違いなく「恩師」です。
 この曲自体は知らなくても、押し付けるのではなく自然と心の奥から湧き上がってくるように、この曲の気持ちはいつまでも無くならないで欲しいと思います。

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