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ファジーブルーの僕らは

思い出、記憶、後悔、いろんな過去を引き出す言葉があるけど、どうしてあの時の夏はあんなに特別なんだろう


生きてる僕たちは常にその時が一番強くて弱い。まだ知らない世界があることも知ってるし、もっと強くなれることもなんとなく予知できる、けどそれでも今そこにいること、そこでもがいてる自分はまだ何にも知らないから、知らないことに対して自分なりに背伸びをして必死になって足掻く、今が一番自分の中で自分が大人だから。

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周りとは少し違う自分でいたい、みんなが見てる世界より少し広いものを見たい、少しひねくれたような思考も受け入れたい、きっと"大人"たちから見たらこんな僕なんてプールで虫が溺れてるようなくらいにしか見えないんだろうな、知ってるよ、分かってるよ、


毎日が繰り返し。日差しもうんざりするほど毎日眩しいし、暑さに背骨を溶かされてノロノロと歩く。

ほんとは悩んだふりしてるだけなのかも

わかんないけど


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未来ってなんだ?

こんなに狭い箱の中で生きてるだけでも毎日頭が痛くなるほど考えてしまうのに、もっと広い海に放り出されたらどうなってしまうんだろう、解放なのかな、いや、やっぱ路頭に迷う?荒波に揉まれるのかな、だったら波の生まれない今のままでいいよ、いやでも、もっと居心地のいいあったかいところかもしれないし、いや、うーん、

どんだけ悩んでてもなにも出てこない、昨日もそうだった、待ち受けてるはずの広すぎる未来の中身が少しもわかんなくて、馬鹿にされてるみたい、悠々と待ってるだけのくせに


ぬるい思考をサイダーでリセットするのももう何回目だ


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毎日何してるんだっけ、グラウンドで顔馴染みが汗を流してる間自分ができたことってなんだ、シャーペンで決められちゃうような未来ってなんだ、自分ってなんだ、いつまでこのままでいるんだ



そういえば昔は炭酸って強くて嫌いだった、喉を通るたびに涙が出るほど痛くて痛くて、でもそれを美味しそうに飲む友達がすごく大人に見えてすごい時間をかけて缶を一本飲み干した。変わったかどうかはわかんない。ただいつの間にか当たり前に飲み込めるようになってた、これって慣れなのかな、大人になったのかな、こんなにぐるぐる考えてる今日も、いつか「あの日」になる日が来るのかな、大人になるって痛みに鈍感になること?いや、いろんな痛みを知って受け止められるようになってるのかもしれない、こんなふにゅふにゅの私はまだ小さな痛みも苦しいけど、まだ大人じゃないからわかんないけど、世の中の人たちはそうやってうまく生きていってるのかもしれない


だとすると、みんな意外と今の延長にいるだけかもしれない



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結局、空はずっと遠いし、悩んでたって勝手に成長するわけじゃない。

屋上で横から笑うように吹く風がひたすらにノイズになる

わかってるよ、何にも進んでないことも、毎日少しづつ削って生きてることも。


ただ、今は今しかないから、そんな言葉でもしかしたら自分を甘やかしてるだけかもしれないけど、でもこうやってもぞもぞ悩んでるのも今だけかもしれないから、炭酸に泣いてた自分を可愛く思える今みたいに、いつかこれも笑えるような気が、しなくも、ない。多分。

多分、また同じことで明日も明後日も悩むんだろうな、くだらないかな、くだらないと思う、それでもいい気がする、やっぱ甘えてるかな、それでいいよ、そうだとしても、どこかで自分が悩んだことが愛せますように



揺れるように曖昧な青の夏






2021.07.09



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