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【Dear my Amnesia】第六話

 第六話 祓魔の神父

 街のとある民家では、まだ日が昇ったばかりだと言うのに何度も窓から光が漏れ出ていた。
家主の息子が匿っていたらしい女の中級悪魔を、いつも通りに祓っていた。
普段ならものの数分で片が付くところだが、淫魔型であるらしいその悪魔にすっかり魅入られてしまった息子から妨害を受け些か手間取っていた。

「頼む、殺さないでくれ! 彼女はただ、安心して暮らせる場所が欲しかっただけなんだ!」

 悪魔は既に弱っており、あとは止めを刺すのみ。だがすんでのところで男がトームに飛びつくのだ。
それを家主とその妻が必死に押さえようとするも、悪魔に吸い尽くされて最早皮と骨しか残っていないような細い躰で両親を薙ぎ払ってしまうのだった。
 容姿端麗で人間達を誑かす悪魔。中でも淫魔型の特徴として女は捕食対象の庇護欲を増幅させ、男は対象を献身的にさせてしまうのだ。
それをトームは勿論承知の上でその男にかけられた洗脳を解いていたのだが、どうやら他の盾が無いらしい悪魔が都度また彼を魅了して妨害させているのだ。
 神父は溜息を吐くと家主夫妻に息子に手を出す事を予め断り、彼の鳩尾に膝蹴りを入れて動きを封じた。
蹲る男をよそに、祓魔の神父は悔しそうにこちらを睨みつける悪魔の方へ顔を向けた。

「クソ、クソッ! 魔女を見つけるまでの隠れ蓑だったのに! あいつらが姿を消した所為で、私達は滅茶苦茶だ!」

そう喚く悪魔の言葉に夫婦は引っかかったようだが、神父は顔色一つ変えず今度こそ淫魔型の悪魔を浄化した。
すると蹲っていた男の洗脳も同時に解け、漸く息子が正気を取り戻したと両親は抱き合って喜んだ。

「神父様、本当にありがとうございます。しかし、あの悪魔の言っていた魔女とは……」
「全く滑稽ですね、悪魔ともあろう者があんなお伽話を信じるとは。種族存亡の危機とあらば、藁にも縋りたい思いなのでしょうか?」

その後夫婦が訝しげな顔でトームに問い掛けると、彼は呆れたような笑みを浮かべた。
 途端、また別の先程の悪魔よりも数十倍もの強い気配を一瞬感じて、立つ鳥が如く家を飛び出した。
家の周りは他の依頼人や野次馬で囲われていたが、トームはそれを押し退けて上級悪魔のものであろう気配を辿った。
人の森を抜けたところで、何者かが路地裏に入っていくのが見えた。神父は奴こそが上級悪魔だと確信し後を追った。
 裏路地に入るや否や浄化の光で辺りを照らすと、そこには既に誰も居なかった。姿を消している可能性があると踏み、トームは恐れずも慎重に足を進める。
ふと、民家の軒裏に一匹の蝙蝠が止まっているのが見えた。その蝙蝠が悪魔の眷属である事を知っていた神父は、すかさずその蝙蝠を攻撃した。

「ああ、やっぱり最強の祓魔師の目は誤魔化せないか」

その時漸く正体を現した上級悪魔が、トームの真後ろから顔を出した。
吸血型の上級悪魔、魔王が三男フラッセオである。神父は振り返り様に憎悪の目で吸血鬼を睨みつけながら、次の祓魔の術を準備し始める。
しかしフラッセオは余裕のある笑みのまま、呆れた溜息を吐いて首を横に振る。

「今僕と戦わない方が良いと思うけどなぁ。ほら、お客さんが沢山来てるよ?」

その言葉が引き金となったかのように、トームの背後から先程の夫婦の家を囲っていた依頼人達が後を追って押し掛けてきた。
慌てて依頼人達に下がるように言ったものの、再び振り向くとそこにはもう悪魔の姿は何処にも見えなかった。
 若い神父は歯を軋ませ、また今夜彼の餌食となる者が増えるのだろうと悔恨の情を募らせた――。

 ――一方で悪魔ヴィギルは、自室の姿見の前で苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
最強の祓魔師の勘違いを突き通すため、その妹にシスターの服を着せられていたのだ。
正直に話すべきだと進言したものの、オフィーリア曰く兄にとって男は警戒対象であるらしい。
ミサに訪れた男達に話しかけられた際、悪魔に憑かれた様子でもないのに突然神父が彼等を淫魔扱いして追い払ってしまった事があるそうだ。
だがそれはこの悪魔が聞いても、「話しかけられた」と言うより「口説かれた」と言うべき内容だった。
どうやら妹に対して思った以上にトームは過保護なようで、ヴィギルも男だと気付かれてしまえばどんな目に遭わされるか分かったものではない。
臆病な悪魔は仕方無くこの状況を受け入れ、ここまでして匿おうとしてくれているシスターに再び礼を言った。

「ねぇギールさん、備忘録になるって言ってくれたけど、お兄ちゃんが教会に居る時はお部屋から出られないでしょう? 私もずっとギールさんと一緒に居られる訳じゃないし、その時はどうするの?」

 ふと、オフィーリアが純粋な疑問を投げ掛けた。
するとヴィギルは、また気まずそうに目を逸らした。策が無い訳ではないようだが、あまり彼女には教えたくないようだった。

「……その、虫は平気か?」
「虫?」
「上級悪魔は其々眷属を従えられるんだが、……君にとってはあまり見たくないものかも知れないから……」

その言葉にシスターは納得し、少しばかり眉を潜めた。要は彼は自分が傍に居られない時はこの眷属を通して、オフィーリアの動向を監視するつもりのようだ。
悪魔がある動物を眷属として従える事はトームから聞いていたが、虫と聞いてまさか蝶々や蟻のような可愛げのあるものを想像出来る筈も無い。
加えて大きさのあるものは彼女も苦手だったため、少しだけ悪魔から距離を取り、心の準備をしてからその眷属を見せて欲しいと言ってみた。
ヴィギルも固唾を呑んで頷き手の甲を差し出すと、袖口から小さな黒いものが顔を覗かせた。
途端にオフィーリアの身体が強張ったが、よく目を凝らして見るとそれは小振りな蜘蛛だった。

「……可愛いっ!!」
「えっ?」

思わず叫んだオフィーリアの言葉に、悪魔もまた驚いた声で聞き返した。
シスターは嬉々として悪魔との距離を詰め、小さな蜘蛛の姿を輝く瞳に収め始めた。

「何だ、虫って言うからてっきり百足やゴキブリでも出てくるのかと思っちゃいました! 最初から蜘蛛だって言って下さいよ!」
「す、すまない……」

ぽかんと口を開けながらヴィギルは謝った。人間の女性は虫を嫌う事が多いと聞いていたため、肩透かしを食らったような気分だった。
蜘蛛は彼女の言っていた害虫と呼ばれる虫を餌としており、それ故かオフィーリアにとっては然程不快なものではなかったようだ。
更に言えばこの古びた教会の中では、蜘蛛が壁を這っている事も日常茶飯事である。トームに見つかったとしても特段気にする事はないだろう。
蜘蛛を自分の掌に乗せて嬉しそうに笑うシスターを見て、悪魔もつい釣られて口元が緩んだ。
 夕刻になり、疲れた様子のトームが帰って来た。
いつも通りに兄を出迎え、食事の準備をする。そしてヴィギルにも食事を持って行こうとした時にトームが呼び止めた。

「フィリー、怪我人の容態はどうだ?」
「うん、もうすっかり元気だよ」
「そうか。なら食事が終わったらでいいから、話を聞きたい。彼女にそう伝えておいてくれないか?」

寸の間、オフィーリアの笑顔が固まった。
しかしこうなる事は予測していた。だからこそ彼女はヴィギルにシスターの服を着させたのだ。
あの容姿ならば、少し顎がしっかりした女性として押し通せるだろう。オフィーリアはそう願わずにはいられなかった。
 食事を終え、身だしなみを整えてトームは妹と共に怪我人の居る部屋のドアをノックした。
シスターから話を聞いていたヴィギルはその音に少し怯えたが、覚悟を決めてドアが開くのを待った。
そして初めてトームと対面したその時、悪魔の強い欲望が衝動的に湧き出てきた。
思わぬ事態にヴィギルは声を上げないように気を付けながら、腹部を押さえて蹲る。兄妹は慌てて駆け寄ったが何とか抑え切ったらしく、手を上げて問題無い事を伝えた。
何度も深呼吸し、漸くトームの顔を見る事が出来た。自分が祓われるかも知れない恐怖に再び襲われたが、意を決して枕元のノートに手を伸ばした。

『はじめまして、ギールと申します。訳があって声を出す事が出来ません』

紙に書かれた文字を見て、トームは思わず目を丸くした。それは悪魔の呪いかと訊いたが、悪魔本人であるヴィギルにとって首を横に振る以外の回答は無かった。
一先ず神父は自己紹介をして、此処へ来た経緯を訊いた。ノートには既に妹から聞いていた事しか書かれなかった。
故郷も天使の襲撃に巻き込まれと書かれていて、あの非情な天使長ならやりかねない事だとトームは心の底から同情した。

「もし貴女が良ければ、傷が癒えた後もこの教会に居て下さい。妹も話し相手が増えて喜ぶ事でしょう」

その言葉を聞いて、オフィーリアの顔がぱっと明るくなった。やはりこの神父は、自分が人間だと信じ切っているとヴィギルも確信出来た。
礼を書いてトームに見せると、彼はにこりと微笑んで部屋を出て行った。
一先ずは安心して良さそうだと脱力していると、オフィーリアが心配そうな顔で近付いた。

「ギールさん、さっきはどうしたの? 傷が開いちゃった?」
「いや、その……」

悪魔は気まずそうに言い淀んだが、話す事であの神父と顔を合わせる機会を減らせる可能性を期待して話してしまう事にした。

「……あの神父を見て、美味そうだと思ってしまったんだ」
「えっ、お兄ちゃんは男だよ?」
「君は食べる肉の性別を気にするのか? ラシーが偏食なだけだ」

悪魔は異性の人間しか食べないと思っていたためつい驚きの声を上げてしまったが、ヴィギルに言われて納得せざるを得なかった。
しかしふとある疑問が頭に浮かび、オフィーリアはすかさずそれを投げ掛けた。

「私は? 私は美味しそうじゃないの?」
「……ああ、何故か君からは全く食欲がそそられないんだ」

オフィーリアは愕然とした。食べられる恐れが無いと安心すべきところなのだが、兄の方が美味しそうに見えたと言われて何処か複雑な気持ちを抱いてしまった。
だがそれをこの悪魔に伝えたところで、困らせるだけなのも目に見えている。がっくりと肩を落とし、風呂に入るとだけ言って彼女も部屋を後にした。
 ヴィギルの部屋を出ると、トームが再びオフィーリアを呼び止めた。
先程の会話が聞こえてしまっていたのかと不安が一気に吹き上がったが、どうやらそうではないようだ。

「彼女、随分と怯えていたようだったが……やはりまだ心の傷が癒えていないんだろうな。なるべく傍に居てやってくれ」
「うん、そのつもりだよ」
「ありがとう。……しかし本当に良かった。あの綺麗な顔にまで傷が付いていなくて」

兄の最後の言葉に、またしても妹は笑顔を強張らせた。
トームも自身の発言に気付き、顔を赤くしながら言葉を取り繕おうとしている。
しかしそれは全く言葉に出来ておらず、オフィーリアもまた右から左に抜けていくだけだった。
ただでさえ複雑な感情が、余計に複雑になってしまった。

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