見出し画像

【Dear my Amnesia】第八話

第八話 魔王の嫡男

 悪魔フラッセオは、今日も人間の女が家に訪れるのを待っていた。
天使や祓魔師に見つからないよう派手な行動は控えていたが、隠れながら寄ってくる美しい餌を少しずつ食むこの生活は退屈しなかった。
彼は実に狡猾に、且つ慎重に食糧調達をしていた。餌と決めた人間の女は全て独り身で、決して位の高い者達ではなかった。そうする事で万が一自分の家に頻繁に入る女が居ると知られたとしても、事が大きく荒立ちはしない事を彼は知っていた。
カーテンを開き、太陽の眩しさに目を細めながら道行く人から美女を探す。わざわざ自身で見つけずとも眷属の蝙蝠に街を見回させれば済むのだが、こうして自らの目で品定めをする事もこの逃亡生活での楽しみの一つとなっていた。
 ふと、何かの鳴き声が聞こえてそちらに視線を移した。
鴉だ。隣家の屋根で羽を休めた鴉が、フラッセオの方をじっと見つめて鳴いていた。
思わず目を見張り、顔が強張る。カーテンを持つ手も震え始めた。
固唾を飲んだ口の端を歪に釣り上げて、フラッセオは諦めたような乾いた笑い声を上げた。

「……やっぱり、生きてたんだね。アン兄さん……」

 ――古びた教会でシスターに扮した悪魔ヴィギルは、ミサが終わった後にお祈りや悪魔祓いを依頼しに来る客人と筆談をしていた。
茶菓子を淹れているオフィーリアに代わっての接客だが、この教会に居た「ラシー」という男について訊く為でもあった。
多忙なトームに代わり健忘症であるオフィーリアにその男の事を教えてやりたいと言うと、客人は快く此処に居た修道士について話してくれた。

「この教会の修道士に似つかわしい、優しくて穏やかな人だったよ。ただ少し色好みだったかな。美しい女性にはそれ以上に優しかったからね。でも何故か、オフィーリアちゃんにはあんまりそんな素振りは見せなかったなぁ。あの子も十分器量は良いんだけど…」

客人の証言も、トームやナイツェルのものとはまた違っていた。恐らく人によって態度を変えていたのもあるのだろうが、美女好きと聞くとやはり弟の顔が浮かび上がってしまう。
とうとうヴィギルは彼の容姿についても訊き、客人の語る特徴から絵を描いてみた。
だがこの悪魔に絵心は無かった。出来上がったのは遠い未来には傑作と讃えられるかも知れない、顔の部分部分を切って貼ったかのような奇怪なものになってしまった。
それでも一応客人に見せてみたが、予想通り難解だという表情を向けられた。
しかし落ち込むヴィギルの表情を見て、客人はこうも言った。

「そうだ、目は貴女によく似ていたよ。貴女と同じ綺麗な金色の目だった。彼も貴女のように、見ているだけで吸い込まれそうな目をしていたなぁ」

疑念が確信に変わりつつあった。やはりこの教会に居た修道士はフラッセオで間違い無いのだろうか。
もし弟が此処に居たというならば、トームやナイツェルがオフィーリアに彼の話をしたがらないのも納得がいく。
途中で茶菓子を持って来たオフィーリアもそれを聞いて、すぐにヴィギルの目を見つめ始めた。
 その客人が帰った後、また別の客人が教会を訪れた。都からの使者らしく、最強と謳われるトームを宮廷の祓魔師として雇用したく、是非都へ来て欲しいというものだった。
それを聞いて悪魔は少したじろいだが、シスターは慣れた口調でその申し出を断った。この付近の祓魔師はトームしか居らず、悪魔が出たらすぐに対応し切れないと言った。
更に麓の町は中級悪魔や上級悪魔も多く出現する為、中途半端な応援は犠牲者を増やすだけだとも言った。
恐らく予め、トームから託けられていたのだろう。健忘症でもこういった記憶が消えない事が、ヴィギルには不思議に思えてしまった。
だからこそ使者が帰るのを見送った後、神父の居ない今だからこそやらなければならないと覚悟を決めた。

「オフィーリア、教会を掃除しよう」
「え、急にどうしたの?」
「君の兄さんの部屋を、掃除してやりたいんだ」

途端、オフィーリアはギョッとして首を横に振った。
以前同様に部屋を掃除しようとして、兄にこっ酷く叱られてしまった事があるらしい。
そもそも散らかっていなかったのもあったようだが、彼女はそれ以降トームの部屋を掃除しようとは思えなくなったらしい。
しかしそれを聞いた悪魔は、俄然あの祓魔師の部屋を調べるべきだと判断した。
自分が勝手にやった事にしてくれていいと言って、後程来るであろうナイツェルの相手をしてやるようにだけ頼んだ。
 こうしてトームの部屋に入ったヴィギルは、最初は実際に家具の埃を落とす事にした。それが終わると、次は箒で床を掃いた。
そして気付かれない程度の掃除を済ませた後に、漸くヴィギルは本棚の方へと手を伸ばした。
そこにあったのは、トームの日記だった。否、彼自身の日記と言うよりは、彼が毎晩聞いていたオフィーリアの日記と言った方が正しいだろう。
だが最初のページの日付は、既に「ラシー」が教会を去った後のようだった。少ないページに書かれた文章には、「ラシー」の名が一つも見当たらない。
悪魔は他の本にも手を伸ばした。だがそれは聖書や悪魔祓いに関するものばかりで、どうやら日記はその一冊にしか本棚に入れられていないようだった。
もしかしたら、既に捨ててしまったのかも知れない。だが本気で妹の事を考えているなら、何かしらの形で残している筈だ。
何とかそれを探そうとまた辺りを見回すと、本棚周囲の床にうっすらと何かが擦れたような傷があった。擦り傷の方向に本棚を動かしてみると、そこには屈めば入れそうな大きな穴が空いていた。穴の奥を凝視すると、金銀財宝が入っていそうな形の箱が、鍵がかけられた状態で置かれていた。
ヴィギルは顔を顰めた。鍵は恐らくトームが持っているのだろう。そしてこの箱の中には、以前の日記があると推定した。
一先ず本棚を元に戻すと、何処かの窓が割れた音とオフィーリアの悲鳴が聞こえてきた。部屋を飛び出して礼拝堂へ向かうと、いくつもの黒い何が飛び回っているのが見えて悪魔は思わず足を止めた。
鴉だ。何羽もの鴉が窓を突き破り、オフィーリアの周りを囲んでいた。助けに入らなければならないというのに、ヴィギルの震える足は動かなかった。

「……兄さん……!?」

悪魔の声に応えるように、鴉がオフィーリアにまとわりつく。そこで漸くヴィギルの足が動いたが、鴉が一つに集まり出来上がった人型はシスターの胸を鷲掴んでいやらしく笑った。

「久しいなぁオフィーリア。暫く見ない内に、少し大きくなったかな?」

鴉から人型に戻った悪魔がそう言うと、オフィーリアの胸をいやらしい手つきで揉み始める。
少女は悲鳴を上げて悪魔を突き飛ばすと、呆然と立ち尽くしていた方の悪魔の後ろに隠れた。
そこで漸く、鴉を従えた悪魔がヴィギルの姿を捉えた。すると今度は嬉しそうな笑みを見せ、怯える悪魔に近付いた。

「ギール! ギールじゃないか! 息災だったのだな。兄は嬉しいぞ!」

オフィーリアは耳を疑った。どうやらこの悪魔こそがヴィギルの兄であり、魔王の長男アンであるのだと確信した。
アンは弟の無事を素直に喜んだが、ヴィギルの格好を改めて見ると沸々と笑いが込み上げてきたようだった。

「だが…、その格好は何だ? ラシーの真似事にしては、滑稽が過ぎるぞ?」

シスター服を着た弟を笑い飛ばす兄に対し、ヴィギルは何も返さなかった。不思議に思ったオフィーリアがその顔を覗き込むと、彼の表情は恐怖で歪み切っていた。呼吸もかなり乱れていて、このアンがとても恐ろしい兄である事を物語っていた。
 ふと、先程のアンの言葉を思い出す。まるで一度彼と会った事があるかのような口ぶりに、オフィーリアはつい訊いてしまった。

「どうして私を、知ってるの……?」
「ん? 何だ、また吾輩を忘れてしまったのか? やれやれ、仕方の無い娘だなぁお前は」

するとアンは呆れたような溜息を吐いたが、未だに薄ら笑いをしたままだった。
やはり彼はオフィーリアと面識があるらしい。だがそれをアンが話そうとした途端、玄関が勢いよく開き鬼の形相をしたトームが飛び入って来た。

「この淫魔め、また性懲りもなく現れたのか! よほど俺に殺されたいらしいな!!」
「やぁトーム。相変わらず元気そうで何よりだが、随分と物騒な物言いをするじゃないか。父は悲しいぞ」
「黙れっ!!」

オフィーリアはその言葉に混乱してしまった。自分の父親は悪魔に殺されたと聞いていた筈だが、それがまさか生きていて、あろうことか悪魔であるなどと誰が予想出来ただろう。
真に受けている妹の顔を見て、神父は更に怒りを露わにした。そして祓魔の術をアンに向けた放ったが、その先には既に悪魔の姿は無かったのだった。

「はは、そう怒るな。吾輩は可愛いお前達の顔を見に来ただけだ。思わぬ収穫もあったが、な」

その声で振り返ると、アンは今度はヴィギルの肩を抱いていた。シスターに扮した悪魔の顔は、最早血など通っていない一層青白くなっていた。
だがアンはそんな弟の表情など気にも留めず、神父に聞かれないようにそっと耳元で囁いた。

「いずれこの吾輩が、お前を天使共から自由にしてやろう。可愛い我が弟、愛しているよ」

そう言ってアンは無数の鴉となって教会を飛び去った。途中トームが逃がすまいと術を放ったが、一羽たりとも被弾する事は無かった。
逃げられてしまった事に舌打ちをしていると、祓魔師は妹の方を向いて思わず目を見開いた。オフィーリアが盾にされていたヴィギルが、失神してしまっていたのだ。
トームは慌ててヴィギルの傍へ駆け寄り、オフィーリアと協力して彼の部屋へと運んだ。そして看病をオフィーリアに任せて、トームはまた壊された窓の応急処置をする羽目になってしまったのだった。

サポートいただければモチベと創作意欲につながります! 良ければお願いいたします!