見出し画像

4年前、適応障害と診断されてから復活を遂げて、今めっちゃ人生楽しいヨな話

私は、2019年夏、突然ご飯を食べることが出来なくなった。
電車に乗ると涙が止まらなくなった。人が見ているなど考えることもできなくて、勝手に泣いていた。
タイピングが早いというのもあって普段1分で書けるメールが10分もかかるという事態が発生した。
そして、この世にいない方が良いという最悪な思考にまで至ったことがあった。

その時、冷静に判断してすぐに心療内科に行ったのは賢い行動だったと思う。
小5から悩むことが多くて病みが発生することが多かったけど、これほど体に症状が現れたのは初めてだった。
なにより、私は一番最悪な事をよぎったら、絶対に立ち止まろうという事は大学の時に四年間カウンセリングに通っていたおかげで決めていた事だった。

2019年は多分人生で一番つらかった年だった。
当時付き合ってた人間は確実なモラハラ野郎だった。
モラハラ野郎に元気をみるみる吸い取られ、
私も別れるという決断をすぐにしなかったことが悔やまれることである。
自己肯定感がマイナスだった私は、見る目が本当になくて、
恋愛が辛いものになっていた。
恋愛で何か問題が起きた時、私はいつも話し合いで解決したかったが、
相手は今思えば回避型という懐に入ろうとすると逃げちゃうタイプだったのだと思う。
話し合いして解決できそうなことも、もうこの話やめようと切り上げられたりした。
そして夏頃やっと別れたが、この時とても辛かった。

辛い事は続いた。この年に友人2名が亡くなるという事が起こった。
本当に悲しかった。
こんなに若いのに、突然命が奪われるとはいったいなんなんだろう。
そして、生きる気力を無くしてる私は本当に人生このままでいいのだろうか?
奇跡的にも健康で生きている私は、こんな状態でただ日々を過ごしてて良いのだろうか。
夏は本当に色々と考えさせられた。

そして、仕事の面でも本当につらかった。
全く職が自分に合っていなかった。
そして、友達の話を聞いていてもどこの企業に行ったとしても私の”合わない”部分が解決されなさそうな感じがした。
絶望しかなかった。
そして一体私は何がしたかったんだっけ。
したいことを仕事に出来たつもりだけど、突然何の興味もなくなった。
社内でも気をつかって、お客さんにも気をつかってプライベートもゴミで、
一体何のために生きて何が楽しくて生きてるんだっけ。
と思った。

異変に気づいてから私はすぐ上司に相談した。
病院に行く前に。
もう働けません、休みます

と、泣きながら伝えた。
上司とはうまくやっていて、本当に信頼出来る優れた上司だったのでまっさきに伝えることが出来た。
病院では、何かしら診断されると思います、それくらい状態が悪いです、と伝えた。
病院に行ってから上司に話したらますますメンタルの悪さが進行すると思った。

そして、その後病院に行った。最初は”抑うつ状態”という診断をされた。
抑うつ状態?なにそれ?うつ病ではないって事?
よくわからないけど、とにかく仕事は早急に休んだ方が良いという事になった。
診断書を持って会社に提出して、数日後に休職することが決まった。
その数日間に、引継ぎ資料を瀕死の状態で作った。
引き継いでくれる人は、全員仲良しの先輩だったし、
責任を感じて(これがメンタルには悪い)最後の作業に取り掛かった。
後で聞いた話、この資料が本当に役立ったらしいのでとりあえずよかった。
面倒くさい案件を抱えすぎていたから。
40社ほどの顧客を抱えていた私は、その分の案件の進捗状況を事細かくエクセルに書き残した。

家族に言いにくかったけど、一人暮らしでこんな状態でいたら危ないなぁとそこらへんは冷静に考えることが出来て、実家に帰ることにした。
実家は田舎だし自然に触れられたのも今となっては良かったと思う。

実家に帰ってから、親がなんとなく心配してるようで
普通に接してくれるのはありがたかった。
そして、1日中うだうだして過ごすことに決めた。
中途半端に会社どうしようと思いながら過ごすのは良くなさそうだと思い、寝たい時間まで寝て、ワンピース読んで、おいしいもの食べての繰り返しをした。
お風呂に入って、リラックスして、家族と喋って。人間らしい生活を取り戻すことを心掛けていた。
思えば小1からずっと忙しかったし人生の休息やっと出来てるわーとちょっとポジティブな考えすらあった。

実家に戻り、心療内科に行った。
東京の心療内科とはもちろん別の心療内科だったが、
そこで診断されたのが”適応障害”だった。

ふむふむ、適応障害?初めて聞いた。
私なりに勉強して、適応障害とは何かを学んだ。
そして、とにかく自分の事をケアする事だけを心掛けた。
心療内科に行って思ったことは、
結局心の回復するのって自分自身なのよね、という事だ。
大学の時4年間カウンセリングに通っていた時は、
カウンセラーの人と話すことでメンタルがどんどん良いものになっていくことが実感できた。
でも、心療内科はあくまでどういう症状かを話して、どんな薬を出すかというところまでだった。(私がいったところでは)
もし、話をしたかったら別料金でカウンセラーをすることが可能だったが、
大学の時とは違い、もちろん有料だ。
これはちょっと色々自分でアプローチしてみた方が良いなと思った。

とにかく寝て食べて好きな事をして過ごす事を徹底した。
すると、運動したいという欲がわいてきた。
運動すると、気分も良くなってきた。
時間が経つと、仕事に復帰する恐怖が無くなった。
最初のころは、友達からの連絡すら怖かった。
人と付き合いたくなくなった。
しかし、どんどん人に会いたくなってきた。
症状が良くなってるな、と二か月くらい経ったときに感じた。
あと一か月くらいあれば行けそう。
そう思った。
そして、私は三か月の休職を経て会社に復帰することが出来た。


そしたら、今度はコロナ禍に突入した。
しかし、私にとってはリモートワーク可能になったり、求めてた働き方ができるようになったのでマイナスだけではなかった。
復帰するとき、リモートワークとオフィス勤務両方で体を慣らしていきたいといったが、その時制度が整っていなくて出来ないと言われた。
しかし、コロナが社会全体の働き方を変えさせて、復帰してすぐに私が求めていた働き方になったのだ。

そんなこんなで約1年働き、辞めて海外に行くことを決意した。
そして今まだ海外に住んでいる。
休職する前、この世からいなくなる前に海外に住んでチャレンジしてみたいとよぎったことがあった。
しかし、休職してからはとりあえず自分の体を良くすることが大切なので、海外に行くことはいったん諦めた。
しかし、復活を遂げて頭もクリアになったころ、やはり一度海外に行って視野を広げた方が良いなと思った。


海外に来てから、考え方とか生き方とかかなり変わったと思う。
10代、20代が辛すぎて絶望することもあったけど、
ようやく私らしい生き方が見つかって来たような気がしている。
人生これから。

そして、この休職のおかげでメンタルや人間関係について改めて勉強しなおして、
今は本当に生きやすくなっている。休職してから悲観的になったことはほぼ無い。もちろん悩むことはあるけど、病みじゃない。そしてかなり楽観的になった。人生なんとでもなるやろ、くらいの気持ちで日々生きている。
あの時、絶望せずにうっすら辛い状態が続いていたら今も仕事で苦しんでいたかも。
地の底に落ちて本当につらかったけど、それがあったから今の自分があると思うと、どんなひどいことも将来の自分の役に立つ、立たせることが大事だなと思う。

とにかく、今人生がちゃんと楽しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?