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木喰上人の微笑仏を訪ねて

放浪の先々で仏像を刻み、各地にそれを残した僧侶がいる。ひとりは円空、もうひとりは時代を下って、木喰。木喰上人がそれを行った動機は仏教を広めるためで、1000体の仏像を彫ると願をかけ、遊行することが目的の修行であったと言う。1800年の頃のことだ。

その木喰上人が残した木彫りの仏像が新潟県内に多数保存されている。これまでは目にする機会がなかったが、今回訪れたのは、小千谷市の山間にある小栗山観音堂である。ここのお堂は5月から11月の間、月一回17日の日にだけ一般に公開されており、この拝観日に、なかなか日程が合わなかったのだ。

きれいに整えられたお堂。
村落全体が急斜面にあり、お堂へ行く道も狭く険しい。
お堂の中央に祀られた御本尊は二メートルを超える大きさ。素材は銀杏。
お本尊は如意輪観音、左は大黒天、右は行基菩薩
ご本尊を中央に見て、右側に並ぶ仏像。
たとえば、左下に写る仏像は馬頭観音。一つずつ違う。

このように、仏像がずらりと並んでおり、その数の多さだけでも圧倒される。応対してくださった地元の方の話では、木喰上人は、このお堂で寝泊まりしながら、昼間は人々の話を聞いては加持祈祷をし、仏像を彫るのは夜だけ、一晩で一つ以上仕上げるという驚異的な創作ぶりだったそうだ。

また、木喰という食べ物を制限する修行にもかかわらず、上人は、とても体格の良い人で、飛ぶように歩くことができたという話もあった。

ご本尊を中央に見て、左側に並ぶ仏像。
手前に大きく写っているのが子安観音。
子安観音の裏側を見せていただいた。木喰上人の筆により、
「子安観音」と記されているのが分かるだろうか。

これらは、村の古老から伝わっている話だそうだ。その村の古老にしたって木喰上人に会っているわけではない。しかし、まるでつい先日まで上人がここにいたかのように生き生きと語られる。いや、実際のところ、その方の話は実に淡々としたものなのだが、物語が生きているのだった。

さらに、その地元の方が子供の時は、まだ上人の仏像が文化財に指定されていなかった時代で、雨の日には子供同士でお堂に来ては、仏像を持ち上げ、ぶつけ合って相撲を取るというような遊びも許されていたと言う。しかし、子安観音の裏側を拝見するのに持ち上げてみても良いというので触ってみたが、二十数キロあるというそれはずっしりと重く、これのぶつけ合いは迫力があったことだろう。実際、それで欠けてしまった部分もあるとのこと。

応対してくださった方は、若い時は東京に出ていたけれども、年をとり、生まれ故郷に戻って来たと言っておられた。緑の濃い、美しい場所、戻って来たい場所があるとしたら、きっとこういうところなのだろうと思われる。

本当に訪ねてみて良かった。

一番心に残ったのは、生きている物語に触れたことだ。私が子供だった時には、こうした物語を年長者から聞く機会があったものだ。それを思い出して、懐かしい気持ちで満たされた日であった。


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