『向日葵の咲かない夏』を読んで思ったこと

『向日葵の咲かない夏』道尾秀介

この本との出会いは、13年ほど前。
私がまだ20歳で、フェリー乗務員として働き始めたばかりで読書から遠ざかっていた頃に、上司(初対面)からいただいて読みました。

なぜ上司が本をくれたかと言うと、その上司は人事異動で他の船に移るために片付けをしていて、読み終わった本たちの引取り手を探していたから。
私たち船員は船に住み込んで働き、船は日本海上を行ったり来たりしています。
当時は電波も届きませんし、海の上だから娯楽といっても限られているわけですよ。
そういうわけで上司は読書を趣味にしていたんですね。
処分する本をみんなにランダムに配って、たまたま私にくれたのが『向日葵の咲かない夏』。
そうでなかったら『向日葵の咲かない夏』を入社したばかりの若い女性職員にあげるというシチュエーションは発生しませんよね。
若い女性に積極的に薦めるような物語では無い…かな。

とはいえ、この本をきっかけに改めて「本読むの楽しい!」と思い、その後13年間も読書愛好家として生きるわけですから、人生何が起きるかわかりませんね。

そういうわけで、『向日葵の咲かない夏』、日本海に浮かぶ船の上で、仕事の合間に読んだわけですよ。

軽く後悔しましたね。
この本のことが頭から離れないんですから。
新人なのに仕事が手につかない!

すごい衝撃的な物語だから、いろいろ考えちゃって、脳の容量食うんですよ。


前置きが長くなりましたが、以下、感想とか考察とか。


「すげぇ……。何と言っていいかわからないけど、すげぇ……」。
いっぱい言葉を浴びたはずなのに、読み終えた後は言葉を失ってしまいました。
おもしろいと言っていいのか、好きと言っていいのか正直よくわかりません。
「すごい」小説なのは間違いないかと思います。

読み進めるたびに、様々なことが信じられなくなってくる。
信用できると思っていた登場人物のことも、事実であろうと思っていたことも。
この物語を読んでいる自分自身のことも。

自分の物語は、自分の真実。
他者から見ても、点においては事実かもしれない。
でも面にするとぐにゃぐにゃにひしゃげた、ねじれた世界なのかもしれないと思いました。
少なくともこの小説の中では。

「生まれ変わり」がこの小説には出てきますね。
私はこれをミチオの妄想だと考えています。

ミチオにとってまだ必要な人(話したい人)が生まれ変わる。 
トコおばあさんとか、妹とか。
生まれ変わった人たちとの対話(結局は自分自身との対話だったが)を、孤独だったミチオは心の拠り所としていたのだと思います。

しかしミチオは、この夏の出来事が転機となり、これ以降はだんだんと生まれ変わりなどという妄想をしなくなるのではないかと考えます。

それは、部屋に火をつけた時に、両親が自分を見捨てなかったことが、ミチオにとって救いになったからだと思います。
生まれ変わった母と妄想の中で和解できたのは、自分に対して愛情が残っていたと考える根拠(火事の時自分を見捨てなかったこと)ができたから。そして母本人が死んだことにより、ミチオの好きなように、だけど確信を持って、愛されていたという設定の物語が描けるようになったから。

自分以外の家族が全員死んだことにより、家庭内の問題に一区切りつき、もう以前ほどには妄想を
必要としなくなった。
妹のミカだったトカゲが事件の1年後死んで以降は、生まれ変わらせる必要性がなくなった。
妹は「忘れないでね」と言って死んで、それから生まれ変わったという描写はない。

物語冒頭の、大人になったミチオは、もう少年だったミチオほどには狂ってはいないのでしょう。

妹(トカゲ)の骨をガラスのコップにラップで保存とは、肉親の遺骨の保存の仕方ではありませんよね。
普通だったらこう、桐の箱とかに入れたりしませんか?
トカゲが本当は妹ではないということを、どこかで認めているのではないでしょうか。

あの夏、自分が火を放ったことが原因で両親は死んだ。
おじいさんを殺したし、S君を自殺させてしまった。
ミチオにとって、夏は呪われた季節となった。

向日葵の花をただ愛でるような、心穏やかな夏は、ミチオには二度と来ない。
そんな夏は、向日葵が咲いていないのと一緒。
だから『向日葵の咲かない夏』というタイトルなのかなーなんて思ったりしました。


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