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文章を発表することの恥ずかしさ

文章を書くことは好きなのだが、発表するのが恥ずかしすぎる。前回、「無為徒食」の記事を投稿して、かなり後悔した。ニ、三日の間、苦しんだ。記事を非公開にするか、アカウント自体消してしまおうかと思った。
 
子どものころから文章を発表するのは苦手だった。小学生の時、作文を書くことになっても、人に見られるのが恥ずかしくて何も書けなかった。高校生の時、ネットに小説を投稿して、夜寝る時にうなされたこともある。
 
しかし、違う名前でXに詩を投稿しているのだが、そっちは恥ずかしくない。不思議だ。散文と韻文の違いか。散文だと、書き手の人間としての考え方がもろに出てしまう気がする。特に長い文章だとボロが出る。僕の場合は。
 
それでも文章を投稿するのはなぜか。文章を書き上げた瞬間は頭がちょっと変になっているのだ。妙に嬉しくて、自分の文章は世界一だと思ってしまう。そしてそのまま投稿してしまう。
 
そう考えると、パソコンやスマホの存在って罪深い。書き上げた瞬間に全世界に発信できてしまう。昔の作家は原稿を書き上げたあとも少しは猶予はあっただろう。いやでも原稿を見つめ直す時間があったはずだ。しかしパソコンを使って書いていると、完成した時、「投稿する」ボタンの誘惑に逆らえない。
 
この文章も、あとで後悔するんだろうなあ。


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