noteのすすめ。そして私は観音菩薩になろうの会を立ち上げた。
noteに初投稿してから一週間。
その間、私は何度『書き直し』をしたか?
それは50回を下らない。
noteを初投稿してから、noteって何?どうなっているの?とボチボチ探っていった。
とにかく苦手な分野だし(ついこの間までYouTubeの概要欄の見方を知らなかった)、初SNSだから、よちよち、よたよた、手探りで頼りない。
noteを開いては、恐る恐る触ってみる。不安になりながら押してみる。
そこで、私は早々に禁断の木の実を見つけてしまった!
な、なんと、投稿した後でも、書き直せると言うではないか。
そ、そんな事があるのかと、騙されたような、狐につままれた気分になったが、パンドラの箱を開けてしまった私は、取り憑かれたように書き直し始める。
一回書き直してからは、初めて手に入れたおもちゃのように、時間があれば、スマホを握り、noteを開き、記事を読み、何度も何度も書き直した。足したり引いたり、忙しい。
そして、
一週間、何十時間も、読んでは書くを繰り返すうちに、私はあることに気づいた。
私がやっていることは、単なる書き直しではない、内観であり内省だ。
自分の記事を客観的にnoteで読み、書き直すことによって、気がつけば、あの時の気持ちを、思考を、妄想を、内側からのぞいている私がいた。
そうか、noteはめっちゃ素晴らしい内観内省ツールでもあったのか。
私にとってそれは大きな発見だった。ただ日記を書いたり、気づいた事をノートに書くとは全く違う経験。
日記やノートに書くだけでは、書いた事で満足、終了。一週間向き合うことはない。
一週間、あの時の自分の気持ちを、あっちこっちに散乱した思考を、浮かんでくる妄想を、時間にして3時間の出来事を、寄せ集め、眺め、解体し、分析し、辿り、俯瞰する。
あの日の出来事がより鮮明に色を持ち、一つひとつに、意味が生まれ、過去と現在がつながっていく。
そして、私に何が起こったか?
フフフ、
私は、「観音菩薩になろうの会」を立ち上げることにした。
つづく
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