見出し画像

大切なことはすべて犬が教えてくれた


この春、おれは父親になる。
不妊治療の末、やっと授かれた待望の第一子だ。

親になる実感が湧いているかいうと正直微妙なところなのだが
そんな自分の心構えとはよそに日に日に我が家は赤ちゃんを迎え入れる場所へと様変わりしている。
ベビーベッド、プレイマット、ハイローチェア、子供服、おむつストッカー…
そんな今だからこそ、”父親になること”について考えてみた。


*****



昔から子どもが可愛いと思えなかった。

違うか。可愛いとは…思う。
いや、うーん、「可愛いと思えないのはオカシイことだ」と思い込んでいたというのが正しいか。

友人のLINEのアイコンが変わったとき、インスタグラムの投稿がそれ一色になったとき
正直全く関心がなかった。
「おめでとう」「よかったね」という気持ちにはなる(実際お祝いもした)が、それまで。

友人から直接子供を紹介されたときが一番厄介で
「ほら。可愛いでしょ?」と自分の子供が可愛いことを一切疑わない表情を浮かべる友人に対して
「うん。可愛いね」以外の言葉を返す術をおれは知らない。

「抱っこしてみる?」と好意で言ってもらえたときのおれのひきつった表情はひどいもので、
脳内では「こんな自分が触れてしまっていいのか、赤ん坊とはその子のことを可愛いと思える人間だけが触れていい存在ではないのか」等とごちゃごちゃ考えているうちに友人はおれに抱っこさせることをやめていた。

おれはいつか親になったとき、自分の子供を愛せるのだろうか…
そんな懸念がずっと頭の片隅にはあった。
「おれも全然子供好きじゃなかったけど自分の子は別物だよ」という言葉にも懐疑的で
結婚式を終えて妊活、そして不妊治療を始めてもこのまま進めていくべきか分からなかった。

そんな自分を大きく変えてしまう出来事があった。
保護犬を迎え入れたことだ。


実はおれは犬も可愛いとは思っていなかった(おれに人の心はあるのか?)。
上記の記事にも書いたが、不妊治療でズタボロになった妻のメンタルケアが迎え入れた目的だった。
改めて振り返ると犬に対して失礼過ぎる。
ただ自身の中で“犬のお世話をすること”と“妻のメンタルを整えること”で後者に天秤が振れただけのことだった。

おれはニオイに敏感なうえ、潔癖なところがあり
犬が部屋でうんちやオシッコをした際の処理を考えただけでめまいがした。
実際飼い始めた当初は家のそこら中でトイレをするたびに涙目で処理していた。
うんち袋がたまったゴミ袋を取り換える際は
「ヴオェェェ」と嗚咽を漏らしながら行っていた(これは今でも)。

だがそんな中で徐々に自分が変わっていくことを実感した。

ある朝、目が覚めると尻尾をふりながらトテトテ歩いてくる犬が可愛くて仕方ないと思う自分に気が付いた。

そしておれの世界は変わった。


*****


犬のことを可愛く、また愛おしく思えるようになってからというもの
街ゆくすべての犬が可愛く思えた。
商業施設に入れば自然とペットショップへと足が向くようになり、
車を走らせれば妻より先に「あ!犬ちゃん!」と気が付くようになった(※安全運転)。
家でも暇さえあればすり寄ってくる犬をモフモフしている。

そんな風に犬を愛せるという事実は他にも影響を及ぼした。

不妊治療だ。
家族が増える喜びを知ったおれは治療にも積極的な姿勢で取り組むようになった。
「妻との子供が欲しい」その一心だった。


そのため妻の妊娠が発覚したとき、おれは妻と犬の前で泣き崩れた。

それから周りの子供たちが可愛く思えるようになった自分にもう驚くことはなかった。


*****


あるとき妻がお腹を撫でながらこう言った。
「つきみ(犬)を飼って本当に良かった。
だってあなたがつきみと接している姿を見られたから。こんな風に自分たちの子供とも接してくれるなら安心できるって確信できた」

おれも今は心からそう思える。
自分が妻と共に子供や犬と仲良く遊んでいる姿をありありと思い浮かべることが出来る。

それもこれも全ては犬を飼ったからだ。

今のおれは人の心を、親の心をもつ一人の人間になった。
予定日まであと一ヶ月。

春が待ち遠しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?