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Norwegian Woodは「ノルウェーの森」ではないとして、「ノルウェー製の家具」でもないんじゃないかという話

なにが「悲しみはぶっとばせ」だ、ぶっとばすぞ!

どうも、ビートルズの邦題撲滅委員会の者です。

いや、まあ、別にいいんですよ。ビートルズの日本語タイトルが誤訳のオンパレードという話自体、もう語り尽くされていてこの話自体が既に古典化してますし、ビートルズの日本語タイトルを日常生活で目にすることもほぼありませんしね。「あいつ」とか「こいつ」とか「ぶっ飛ばせ」とかは、いまだに目にすると奥歯をぎりっと噛み締めそうになりますが、でもまあそれだけです。

Norwegian Woodも「ノルウェーの森」という誤訳の日本語タイトルがついてますが、他の珍訳と比べると「とはいえ、いい感じじゃね?」と他とは一線を画すポジティブさで受け止められてる感があります。それでも自分は使いませんが。

ただ、わりといい感じの誤訳だったということで、この曲のタイトルだけやたら取り上げられて「正しい訳は〜」とされてるんですよね。「ええ?あんなに曲調とマッチした素敵なタイトルが誤訳なの?」という意外性や、英語の間違いの指摘のしやすさなどがあるんでしょうかね。そのうちの何割かの労力を「悲しみはぶっとばせ」の方に回して欲しいくらいです。

そういった経緯もあって、Norwegian Woodに関しては正しい翻訳についてのアプローチが行われていて、「ノルウェー材の内装」とか「ノルウェー調の部屋」とかいろいろな解釈がありますが、一般的には「ノルウェー製の家具」という訳語が定説となっている感じがあります。

最初に断っておきますが、歌詞の解釈なんて人それぞれ自由です。脈絡のあるなしに関わらず、それぞれの理由で解釈して楽しめばいいですし、それは誰からも強制されたり禁止されるものではありません。
なので、これから書くのはあくまでも自分の勝手な解釈なので、お前らこう思え!という意図で書くわけではありません。一つの意見としてこういうのがあってもいいんじゃないかと思って書いていきます。おそらく自分と同じような解釈の人もいるんじゃないかと思いますが、ネット上ではあまり見かけなかったんですよね。

語学的なアプローチ以外の解釈がもっとあってもいいのでは?

Norwegian Woodの日本語訳について、ウェブ上で調べてみてもノルウェー製の家具」や「ノルウェー材」と言っている人が大多数です。語学的なアプローチで解釈すると意味としては通るので、これは自然なことでしょう。

でも、待ってください。
この状況を例えるなら、ハイウェイ・スターというタイトルを「高き道路の流星」と誤訳があって、「いやいや、正確な訳は幹線道路の星ですよw」と大勢の人が言っているような感じです。いくら正確な訳だろうと、幹線道路の星で納得する人はそういないはずです。

それがNorwegian Woodに限っては、「ノルウェーの森というタイトルは実は誤訳なんですよ。正確には…」という導線が完全に出来上がっちゃっているせいか、語学的な正確さのみに誘導されてるって感じです。

自分は英語についてはたいした知見もないので翻訳について詳しく語ることはできませんが、原文の歌詞はそこまで具体的に限定してないんですよね。ノルウェー材はまだしも「家具」は完全に意訳であり付け足しです。
Norwegian Woodという曲は、歌詞全体があえて内容を限定しないような文脈で作られています。本当なら曲全体の文脈で解釈するアプローチがもっとあってもいいはずです。

Norwegian Woodについて、曲全体の文脈を含めて解釈してる人が少ないので、ここで村上春樹さんの見解を引用します。

 翻訳者のはしくれとして一言いわせてもらえるなら、Norwegian Woodということばの正しい解釈はあくまで〈Norwegian Wood〉であって、それ以外の解釈はみんな多かれ少なかれ間違っているのではないか。歌詞のコンテクストを検証してみれば、Norwegian Woodということばのアンビギュアスな(規定不能な)響きがこの曲と詞を支配していることは明白だし、それを何かひとつにはっきりと規定するという行為にはいささか無理があるからだ。それは日本語においても英語においても、変わりはない。捕まえようとすれば、逃げてしまう。もちろんそのことばがことば自体として含むイメージのひとつとして、ノルウェイ製の家具=北欧家具、という可能性はある。でもそれがすべてではない。もしそれがすべてだと主張する人がいたら、そういう狭義な決めつけ方は、この曲のアンビギュイティーがリスナーに与えている不思議な奥の深さ(その深さこそがこの曲の生命なのだ)を致命的に損なってしまうのではないだろうか。それこそ「木を見て森を見ず」ではないか。Norwegian Woodは正確には「ノルウェイの森」ではないかもしれない。しかし同様に「ノルウェイ製の家具」でもないというのが僕の個人的見解である。

村上春樹『ノルウェイの木をみて森を見ず』(新潮文庫『雑文集』収録)

村上春樹さんは小説「ノルウェイの森」で、「こいつ翻訳やってるくせに小説のタイトルに誤訳を持ってくるとか大したことねーなw」とかなりバカにされたこともあり、この解釈は村上春樹さんが翻訳者としての矜持をかけた渾身の内容になっていると思います。

Norwegian Woodの解釈はあくまでも〈Norwegian Wood〉で、特定の意味を規定しない方がいいという話ですが、自分もこの見解は「我が意を得たり」という感じでかなりしっくりときます。自分もNorwegian Woodという単語には、特定の意味を持たすべきではないという考えです。ノルウェー材にしろノルウェー製の家具にしろ、これがタイトルならどう考えても曲の内容を損なっていますからねw

村上春樹さんは、さらに裏付けとしてジョン・レノンのプレイボーイ誌のインタビューについても触れています。

まずはジョン・レノンのインタビュー部分です。

この曲で僕はすごく用心深く、パラノイアになっていたと思う。当時他の女性と関係があることを妻に知られたくなかったからね。実際に僕はいつもだれかと不倫していたんだけど、曲の中ではそういう色事をうまくぼかして描こうとしていたんだ。ちょうどスモーク・スクリーンで覆ったみたいに、実際の出来事ではないかのようにね。これは誰との情事だったか忘れてしまった。いったいどうやってNorwegian Woodっていう言葉を思いついたのかわからない。

それを受けての村上春樹さんの見解です。

 この発言は(作品についての作者の発言がすべて正しく決定的なものではないことは、僕自身の経験からも言えることだが、それにしても)、Norwegian Wood=ノルウェイ製の家具、ではないことをかなりはっきり示唆しているはずだ。もし事実がジョン・レノンの発言の通りだとするなら、これは「よくわけはわからないけれど、すべてを押し隠す曖昧模糊とした深いもの」ということになる。それは翻訳(あるいは解釈)不可能なイメージであり、ノーションだ。それはやはりどう考えてもNorwegian Woodそのものでしかない。

村上春樹『ノルウェイの木をみて森を見ず』(新潮文庫『雑文集』収録)

自分の解釈の元にあるのもジョン・レノンの発言ですが、ジョン・レノンのインタビューでの発言を考慮すると、何かを特定するものではないのではないかという解釈は当然のように出てきます。なにせ本人がこの単語の出自についてわかんないと言っていて、歌詞の中でも具体的な言及がないわけですから。

解釈は作品単体で行ってももちろんいいと思いますが、作者の発言を考慮した解釈も当然あってもいいと思うんですよね。普通はそっちを優先する人が多いような気もしますがw

出自不明の単語がなぜ歌詞に入ったのか

ではなぜジョン・レノンは、出自を覚えていない意味もよくわからない単語を歌詞に入れたのかという疑問が残ります。

この疑問について村上春樹さんは「なんかよくわからんけど深いものを入れたかったんやろなぁ」程度の受け止め方で終わっていて、それ以上の考察を行っていません。まあ、これ以上は背景情報も合わせないと完全な当てずっぽうになりますからね。一流作家らしい思慮の深さが伺えます。

しかし、「なんかよくわからんけど天才性がそうさせた。ジョン・レノンすごい」という話はさすがに何も生まないと思うので、ここからは思慮深くない自分がもう少し続けたいと思います。当然ですが皆がハッピーとなるような客観的な資料もないため勝手な憶測です。

まずジョン・レノンが単語の出自について「忘れてしまった」ことについてですが、これはそもそも「記憶に残るような性質のものではなかった」のではないかと推測します。

過去の思い出とか思い出の品だとか、なにか特別な意味とかメッセージとか、なんか深いワードを入れてやろうとか、そういった明確な背景的なものを持たずに入った歌詞という可能性があります。なにか明確な背景的なものがあれば、インタビューでそう言ったんじゃないでしょうか。おそらく本当にぽっと思いついたワードだったので、出自を覚えていなかった。

では、具体的な意味を持たないぽっと思いついたワードが歌詞に入る状況があるのか?って話ですが、ジョン・レノンの作詞方法で考えると「歌詞を思いつかない時にとりあえず当てはめた単語」というのが思い当たります。

ジョン・レノンは作詞で何も思いつかない時は、なんでもいいからとりあえず適当な単語を当てはめるという方法をとっていました。同様のアドバイスをSomethingの歌詞を思いつかないジョージ・ハリスンに対して行っています。

Somethingの歌詞を思いつかないというジョージ・ハリスンに対して、ジョン・レノンが「カリフラワー」というワードを出していますが、数年経過して「なぜカリフラワーを思いついた?」と聞いてもおそらく覚えていないでしょう。同じような感じで、適当に当てはめた単語が〈Norwegian Wood〉だったのではないかというわけです。

Norwegian Woodの最後は火を付けて燃やしてしまうという、わりと投げやりな感じで完成させたという印象があります(個人的な印象です)。少なくともきりきりと細部を詰めに詰めて完璧に仕上げた歌詞とは思えないんですよね。「Rubber Soul」のための曲作りをしていた時は新曲を大量に書き下ろさないといけなくて、「とても考えられないことだった」と本人達が後述するくらいの殺人的なスケジュールだったためそんな時間もなかったはずです。時間がなくて歌詞の盗用すらしてるくらいなんだから、仮歌詞のまま出来上がった曲があっても不思議ではないと思うんですよ。

ただ、適当に入れた歌詞だけど想定外に響きが曲にハマっていて、それに代わるいい歌詞も見つからなかった。というよりも曲の響きの面で曲全体を支配するような魅力と存在感を放っていた。

Norwegian Woodは「This Bird Has Flown」というタイトルでレコーディングされていましたが、後に「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」に改題されています。歌詞のテーマ性を考えるとむしろThis Bird Has Flownの方でも良さそうですが、曲の響きを支配するNorwegian Woodをタイトルにすることにより、音の響きと詞のテーマの両方の意味合いを持たせたタイトルにしたかったんじゃないかと勝手に推測しています。

勝手な個人的な憶測を書き散らしましたが、そんな解釈があってもいいと思うんですよね。少なくとも自分は信ぴょう性の高い客観的な新情報でも出ない限りはこの説を推していきます。

仮に曲の中での響きを元に「Norwegian Wood」というタイトルになったのであれば、やっぱりタイトルについて我々日本人も「ノーウェイジアンウッド」と呼んだ方がいいんじゃないですかね。無理に訳す必要もないでしょう。ビートルズの邦題撲滅委員会としての利害関係を抜きにしても、そう思います。

Norwegian Woodに関しては「Knowing She Would」だったという説もあり、これについても否定する話をしておきたいのですが、さすがに長くなり過ぎたので次の記事で書きます。

※タイトル画像はNorwegian Woodの歌詞の最後あたりを元にadobe fireflyで生成したAI画像です。

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