「セクシュアリティ」なんて言葉は聞きたくもなかった

セクシュアリティという言葉を初めて聞いたのは、大学生になってからだった。

大学で知り合った仲の良い女友達が過激派のフェミニストで、そいつの話を聞いて「はあ、そんな分野があるんだなあ」というようなことを思った。

所属していた学科は哲学やら芸術やら国際学やら、お金にまつわる経営学や経済学を除き、文系学問であればとにかく何でも取り扱っているようなところだったから、ジェンダー論に言及する授業も多く、その中でセクシュアリティという言葉は何度も聞くことになった。

いまでこそ、僕は自分のセクシュアリティを受け入れることができているけれど、もともとはセクシュアリティなんて言葉は聞きたくもなかった。

僕はセクシュアリティが嫌いだった

「世の中に異性ではなく同性に惹かれる人もいます」
「そういう人たちは知らず知らずに傷つけられています」
「だから私たちは、差別をせず平等に接しなければいけません」

授業でレポートを発表する学生は、決まりきった三文芝居を演じる。
「私は当事者ではありませんが」という枕詞をつけることを忘れずに。

偽善だ。そう僕には思えてしまった。

障がい者だって、外国人だって、もっと言えば外見が美しくないだけで差別をされている人だって世の中には数えきれないくらいにいる。
しかも、セクシュアリティは同性愛者だけのものではない。

にも拘らず、テレビのバラエティ番組で見かける、自分たちにとって身近な同性愛者だけを取り出して「差別をしてはいけない」と宣い、かつ同時に「自分は当事者ではない」というアピールによって自らの身を安全圏に置くことが、ひどく理不尽な言い様に思えたのだ。

加えて、いま思えばそうした言葉が、無意識のうちに自分に向けられた同情のように感じたということもあったのかもしれない。

高校までの僕は、部活動の指導者から散々「オカマか」となじられ、大学では男らしくあらねばと思っていたところで、そういった中で性の平等を語られるのは、憐みを向けられているようにも感じた。

だから僕はセクシュアリティが嫌いだったし、自分から学びたいとも、まして自分が関わるとも思ってはいなかった。

台湾とセクシュアリティ

結局、その思いとは裏腹に僕はセクシュアリティについて一定の知識と経験を得ざるを得なくなった。

僕は大学で台湾の文化や歴史の研究を専門に行なっていたが、台湾はアジアの中でもセクシュアルマイノリティの中心地とも言える場所で、台湾文化を学ぶにあたって、文献を読むにも、文学を読むにも、映画を見るにも、セクシュアリティの要素に触れることは多かった。

台湾ではセクシュアルマイノリティを「同志」あるいは「酷兒」のように呼ぶ。
(恐らく厳密な語義は異なるけれど、詳しくは理解していない)
「同志」は日本語の意味と同じく、同じ気持ちを持つ存在。
「酷兒」はいわゆる「クィア」の音を当てて「ku-er」と読むが、中国語の「酷」は「cool=かっこいい」の音を当てており、より前向きなイメージを持たせている。

例えば文学では白先勇の「孽子」、映画では「ウェディング・バンケット」や「僕の恋、彼の秘密」、「花蓮の夏」、「GF*BF」、「藍色夏恋」など、同性愛を中心にセクシュアルマイノリティに関わる作品はいくらでも見つかる。
(戒厳令下の影響で衰退していた台湾映画界にとっては、派手なアクション映画を作る余力がなく、青春映画・恋愛映画が中心だったという事情もある)

僕の一年間の留学経験の中でも、LGBTと呼ばれる人に何人も出会ったし、彼らを理解しきれなかったことによるトラブルも実際に体験した。
住んでいた寮の近くには、一昔前に同性愛者の溜まり場になっていた二二八和平公園もあった。

セクシュアルマイノリティに寛容な台湾でも彼らへの差別は残っていたけれど、それでもそういった存在は生活の中で当たり前のものになっていたし、僕にとってもセクシュアリティは自分の世界の中で、「普通にそこにあるもの」になっていた。

それでも、深く心をえぐることはある

台湾への留学を経て、セクシュアリティという領域に対する嫌悪感は結果的に薄れていった。
輪郭の曖昧な「名前も知らない誰か」の問題ではなく、自分の世界の中の問題として捉えられるようになったことが、心境を大きく変えた原因になったと思う。
(もちろんLGBTに関わることだけでなくセクシュアリティ全体として)

それでも、冒頭で述べたような押しつけがましさを感じなくなったわけではない。
いまでも忘れられない言葉がある。

僕が所属していたゼミでは、中国や台湾の社会や文化を専門に扱っていて、そこから派生してジェンダー・セクシュアリティにも研究を広げていた。
(僕はあくまで台湾の社会文化専門だったけれど)
そして、そうした環境だったからか、ゼミのメンバーはほとんどが女性だった。

ゼミの中での卒業発表で、諸外国と日本のLGBTの比較研究をしたという人がいた。
それは卒業研究というよりは資料まとめのようなものだったが、

・諸外国は日本よりもセクシュアルマイノリティが社会に浸透している
・統計では、13人に1人がLGBTだと言われる
・日本ではカミングアウトする人が少ない
・だから差別や心配をなくすことが必要だ

こういった内容だった。
そして発表の最後に「だから、このゼミの中にもLGBTがいるかもしれない」と言って、数人いるゼミの中で、僕に対してこう続けた。

「〇〇くんがもしLGBTなら、私に打ち明けてもいいよ」

きっと、真面目な発表の雰囲気を和ませるための冗談だったのだと思う。
実際に少しの笑いは起きたし、本気の親切心で言ったわけでもなかったろう。

それでも、少しの違和感を持ちつつも、男らしくあらねばならないと思っていた当時の僕にとっては深く心をえぐるような言葉だった。
数名のメンバーの中で僕を選んで言葉をかけたのは、ふと女性寄りな仕草をしたり、男性らしい筋肉質とは遠い身体つきだったり、男性より女性と親しくなりやすい僕の特性があったからだとも明確に分かった。

その人はゼミの中でも仲が良くて、社会人になったいまでも年に数回は会う。
しかし、仮に僕がカミングアウトする何かを持っていたとしても、あなたに言いたいわけじゃない

「該当するならカミングアウトしてオープンにしよう」というのは、アイドルが歌う「好きならば好きだと言おう」と同じ、前向きで、情熱的で、そして部外者から見た閉鎖的な思い込みだ。
本当の気持ちはそういうことじゃない。

結局、普通かどうかなんて全く意味のないことだ

その後、僕は大学を卒業して社会人になって、20代後半で自分のセクシュアリティというものを改めて実感することになった。

僕は男として生きてきたし、男として扱われることに抵抗感はないけれど、男らしさを求められると戸惑ってしまうし、女性の振る舞いや服装・外見に憧れを持っているし、一般的に女性らしいと言われる部分で褒められると嬉しく思う。
一方で、恋愛対象は女性だし、男性を好きになることは現状ありえない。

もう少し言えば、僕は自分が他と少し違う感覚はあるけれど、LGBTとかセクシャルマイノリティという括りだとは思っていない。
結果的に同じだとしても、自称するのは少し合わないと思っている。

性差別をなくそうとかLGBTの権利とか言っても、それでも世界は相変わらず男は男らしく、女は女らしくあることを求めるし、居酒屋は女性限定サービスをやっているし、テレビ番組ではオネェタレントが面白がられている。

結局誰もがすべてを理解できるわけでもないし、すべてを配慮できるわけでもなくって、自分の感覚は自分にしか分からない。

だから「13人に1人はLGBT」なんて、こんな数字は全く意味がなくて、世界は13人の中の12人に都合の良いように作られていくし、13人の中の1人に配慮したところで、その1人が幸せになれるとも限らない。

大切なのは自分の常識を常識と思わないことじゃないだろうか。

あからさまに人を貶める発言をしないのは当然ながら、何がその人を傷つけることになるのか分からないのだから、人に向ける言動にはすべて注意を払わなければならない。

僕が髪を伸ばす理由も、明るい色のパーカーを着る理由も、少し前に髭を伸ばしていた理由も、たぶん誰にも分からない。

それは「13人の中の12人」に対しても同じことだから、「普通」であることすらも全く意味がないことだ。

僕らは他人のことなど絶対に理解できない。
「男だから、恋人は女だよね」
「女だから、『可愛い』は誉め言葉だよね」
「LGBTだから、誰かに理解してほしいんだよね」

こうした思い込みを捨てることが、この世界を少しだけ生きやすくしていくように思う。

つきこ

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なみき つきこ
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