海から届けられるもの〜aruの選書
自分が本屋に行って数ある本の中から、この本に出会う可能性があるかというと、限りなく0に近かったと思う。
岡山県にある海が見える小さな本屋「aru」をX(旧Twitter)で見かけた。店主のあかしゆかさんが選書した本を送るというサービスがあり、気になったので購入してみた。
「海から本をお届け」
この言葉が新鮮に感じた。
海からお届けできるものは、美しい風景であり癒やしにつながるものが多い。作られるものも「海」や「南の島」を感じられるものがほとんどだ。だから、私にとっては海と本があまりつながらない。
aruは「海から本をお届け」するけれど、海関連の本ばかりではない。あかしさんが選んだ本だ。
その本とともに、aruの空気感もお届けしてもらえるような気持ちになる。
私に送られてきたのは、僕のマリさんの『まばゆい』というのエッセイだった。ためらいながらも自分のことについて書いている。
冒頭の「ありのままに書けば書くほど自分を傷つける」という表現にハッとなった。
私は書くことが好きだ。そして、書いて伝えることのほうが得意だ。書くことが思考の整理に役立つことも知っている。
いろいろ立て込んで頭の中がこんがらがってきたときは「書き出さなくては」という思いが強くなる。
書くことは自分にとって役立つこと。必要なこと。
一方で、書くことでその時の感情を目で見ることになる。目でも認識してしまう。これは私にとってよろしくない。ネガティブな感情が、書くことで頭からいったん外に出て、目からまた入ってしまう。
それで受け止めることができたら、消化できたら、それでよいと思うのだけど、私はどうやらそれが苦手らしい。この事実も避けて通ってきたところがあるけれど、この冒頭の一文で「そうか、そういう感情もありなんだな」と思えた。
わざわざ傷つきたい人はいない。回避できるのならしたい。
書くことは癒やしにもなり整理にもなるが、内容によっては自分を傷つける。だから、無理に書く必要ないんだな。そんな自分の感情を書けない自分を改めて肯定できたように思う。
本書には「我々は喪失感とともに生きていく」とも書いている。その言葉のとおり、生きていれば逃れられないもの、受け入れがたいこともある。「ともに生きていくもの」として捉えると、喪失感という感情の寄り添い方が変わるような気がする。
こういう本との出会いもありだなと思うし、世の中にはさまざまな本があるのだと改めて感じた。出版社もたくさんあるし、書き手も多い。
本を買う機会は多いほうだと思うけれど、かなり狭い世界で本を選んでしまっている自覚があるので、新鮮な出会いができたことはうれしい。
本屋がない島に住んでいるから、さらにうれしい。
また、新たな本と出会いたくなったら、海から本を届けてもらおう。
▼aru Instagram
https://www.instagram.com/aru___store/
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