「Youth of May のない五月は嫌です」
※注意※ ネタバレ満載!
周囲では高評価なので早く観たかったが、私の視聴環境ではなかなか機会がなかった「五月の青春」を、やっと観ることができた。
前半のセリフの数々が、一気にドラマの舞台の1980年…よりはもう少し後だが、私をタイムワープさせた。
私の場合は、幸い登場人物が亡くなったわけでも、もちろん国家公安が登場(笑)したりするわけでもなく、このドラマ同様の経験をしたとは全くもって言えないし、事の軽重でいえば並列で語ることさえ烏滸がましいとも思う。
それでも、もう自分には二度と戻らない、遥か昔の五月の青春を想起させるには十分すぎた。
そして、そんな時間が一度でもあった人生、後年それを振り返ることができる人生は恵まれているのだろう、と改めて、しみじみと感じ入った。
ドラマ自体のトータルな感想については、巷に多く溢れるこのドラマへの賞賛のコメントに同意する。今まで観た韓ドラのベスト5入り。
一方、こちらも多くの人が口にする「切なすぎて二度は観たくない」も同感だ(今のところ)。
これはマイベストドラマ「マイ・ディア・ミスター ~私のおじさん」について、韓国で「一度も観たことのない人はいても、一度しか観なかった人はいないドラマ」と言われる対極の形容である。
些末な点では、バスの車掌さんの女性、グッジョブ!とか、ベーカリーでのヒテの「あーん」(※)は微笑ましかったとか、婚約式は映画「卒業」か!とか、優しい男ギョンスがついに堪忍袋の緒が切れて兵長をボコボコにする痛快な場面を期待していたのだが…とか、幼い子どもなので仕方ないとはいえ、ミョンスが軽率な行動に走ったばかりにミョンヒが亡くなってしまったではないか、というやり場のない憤り(?)などもあった。
ただ、ミョンスもあの年齢で続けざまに父と姉を、それも自身を庇ってくれた結果で亡くす経験というのは悲惨なものだっただろうとも心が痛んだし、ゆえにそのミョンスが牧師になっていたのは感慨深いものもあった。
また、その最後の場面の女性が瀕死の状態だったソクチョルさんというのは今一つ納得がいかず、当時若かった登場人物の中から、あれ以来勉学に励んで成功したジナであってほしかった。
なお、安易なハッピーエンド否定派の私だが、このドラマに関しては最後まで観続けるときっと悲しい結末が待っている気がして、終盤の教会の誓いの場面で
「ご視聴いただき誠にありがとうございました」
のテロップが流れてほしいと思っていた。
発見されたミョンヒの祈りの手紙の文面で泣けてしまった。
今この時期だからこそ、違う観点からの感想として。
光州事件のあった1980年5月は、日本の若者だった私にとって、まさにミョンヒテのように喫茶店でデートなるものを初めてしていた頃。のほほんと過ごしていた。過ごせていた時代。
「タクシー運転手 ~約束は海を越えて」然り、「1987、ある闘いの真実」然り、民主化運動を取り上げたドラマや映画の弾圧の描写には、いつも目を背けたくなる。胸が痛くなる。
しかし、それは決して他の国の遠い昔の出来事ではなく、あれから40年以上経って、「緊急事態条項」の制定の足音などがヒタヒタと迫っている、現在の自分の国でも十分あり得ることなのだ、という警鐘は鳴らしておきたいと思う。