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うずまき銀行強盗(ソノサキ商店街シリーズ)

ねこのて手芸店(Whiskers’ Craft Supplies):店主のねこがどこからかキラキラしたボタンや毛糸を仕入れてきます。あさつゆのボタンやつきのひかりのボタンも入荷中。店内は狭いため、店主の尻尾にお気をつけて。

うずまき銀行(Ammonoidics Bank):アンモナイトが頭取を務める、眠気を預けることができる銀行。古生代シルル紀創業。冬眠の予定がある方には眠気の融資も行っています。


 ねこのて手芸店は、よっぽどのことがない限り店を閉めません。なので銀行強盗に遭遇した時、店長は「困ったね」と思いました。
 
 ねこのて手芸店は商店街の中ほど、時計塔がそびえる広場に面しています。看板商品はあさつゆのボタン。冷えこむ春の野原でとれた草のつゆに、いちばん乗りの陽ざしが一欠片織りこまれた、とても美しいボタンです。そのほかにも、月のひかりの絹糸や、波のように揺れ続ける布など、ねこの店長​​は自慢の手芸品を毎日棚に並べるのでした。それらをどこから仕入れているのかは誰も知りません。店長は毎日、カラスが鳴き始める頃に昼寝をして、世界がすっかり暗くなってからするりと店を抜け出します。耳と尻尾をぴんと真っ直ぐ立てて向かうは秘密の拠点。そこでめぼしいボタンや毛糸の玉を見つければ、透き通った瞳をきらりと光らせ、達成感でひげをひくひくとさせながら持ち帰るのが日課でした。
 しかし、その夜の店長はどこか様子が違いました。広場を横切りながらも、いつもなら凛と上へ伸びている尻尾は左右に気怠く揺れ、心なしかひげにもハリがありません。店長は郵便ポストに飛び乗ると一つあくびをしました。続けて前足、背中、後ろ足と順繰りに大きく伸ばします。
 ここ数日は店が盛況で、夕方にうたた寝をする時間が取れていなかったのです。大きなあくびがもう一つ。ポストがふかふかの布団に見えてきます。もう一歩も動かせまいとするかのように、尻尾が揃えた足先に巻きついてきました。
 でも、今夜はどうにも寝られない事情がありました。星が突き刺すように明るい今日は、初霜が降りるに違いないのです。
 ご存じのとおり、初霜が降りた夜は草むらに住む妖精たちが引越しを始める日。寒さが苦手な彼らはたいていの場合、目にも止まらぬ速さで荷造りを済ませて跳ねていきますが、そのぶん忘れ物も多いのでした。きっと今年も、水晶の毛糸や綿雲の縫い針が無造作に放り投げられていることでしょう。その光景を想像しただけで前足がうずうずとします。
 
 人間はよく、ねこのことを気まぐれと言いますが、そんなことはありません。至極まじめに生きているねこがほとんどなのです。ねこの方が世界のことをはるかによく知っているため、人間の脳みそでは理解できない動きを多く取っているだけで、すべてのことに理由があります。例えば、急な方向転換にも。

 そんなわけで、店長はポストから飛び降り、ひょいと歩く方向を変えました。向かった先はうずまき銀行。大仰な大理石で作られた列柱の台座で背をひとしきり掻いてから、観音扉のわずかに開いた隙間からするりと中へ滑り込みます。
 夜の銀行は静かなもので、どこまでも続く大理石の壁にただ一匹のアンモナイトがそろばんを弾く音が響き渡っていました。店長はアンモナイトの窓口へと歩み寄り、声をかけます。「眠気の預け入れだよ。余分に持て余して仕方ないんだ」
 アンモナイトは渦巻き柄の奥から空気を震わせ、返事をしかけましたが、その声は突如恐ろしい音にかき消されました。体ごと吹き飛ばされそうな、大きな地割れのような咆哮です。店長は考えるよりも早く身を翻し、先ほど背を掻いたばかりの柱まで駆けていきました。頭を低くしながら用心深く中を窺うと、夜よりも暗い大きな影がのそのそと銀行の中で動いているのが見えました。
 そして、沈黙。
 痺れを切らしてきた頃、ようやく奥からか細い声が聞こえてきました。舌足らずのかすれた声はアンモナイトのものです。「ぎ、銀行強盗だ......」

 銀行強盗!
 聞き慣れない言葉を耳が捕らえます。前足から尻尾の先までうずうずと動き出すのがわかりました。
 先ほどの大きな影は、夜の空気を引きずるようにして銀行から出ていきます。
珍しいものに目がない店長にとって、こんなに楽しげな展開はありません。店長はすっくと立ち上がり、ひとまず影の後を追いかけることにしました。「困ったね」と歌うように口ずさみます。「妖精たちの引越しには間に合わないかな。まあいいか」
 だって、銀行強盗のほうがよっぽど希少な光景なのですから。

 のそ、のそと影は地面を這い続け、やがて商店街の外れにたどり着きました。そこには一本の大きな木が立っています。枝葉が雲のように遠く伸び、辺り一体の大地を我がものとしているかのようでした。

 影は木の根元まで近づいたかと思うと、突然姿を消してしまいました。少し離れて後をつけていた店長は慌てて足を早めます。近づいてみると、太く捻れた根の間にがぼりと穴があいていることがわかりました。影はこの穴の中へと入っていったのでしょう。店長は澄んだ瞳をきらりと光らせ、迷わず歩を進めました。

 太く捻れた根をくぐるようにして暗闇へ潜っていくと、途端にひらけた地下部屋が現れます。足元のガラスランプの灯に目をしばたたかせた店長は、二組の瞳がこちらを見つめていることに気がつきました。
 真っ黒なビーズのような瞳は硬い毛に縁取られ、その縁取りは優雅な曲線を描きながら下降していき、チョコレートの欠片を思わせる鼻に続いています。その鼻先の深い色味に見とれた店長は、そこから熱い息がフンと漏れてようやく、鼻が生きていることを思い至りました。
 熊です。どこからどうみても、その地下部屋には熊の親子が住んでおり、今まさに鼻をフンと鳴らした方が親熊のようでした。

 店長は自分の整った毛並みがしっかりとランプの灯に照らされるように腰を下ろしました。
「どうも」とチョコレートの鼻先に声をかけます。「銀行強盗だなんて、また珍しいご職業ですねえ」

 (人間が他の家へ突然入ってしまった場合には、とりあえず謝ってみせたり大声を出して驚いてみせることが多いでしょう。それが常識であるのと同じように、ねこが他の家に入った場合、とりあえず自分がその家の長年の主であるかのように振る舞うことが多く、それが常識とされています。)

 フンと鳴った方の鼻が、今度はひくつきました。「銀行強盗?」
 「ええ。あの銀行員がそう言っていましたよ」

 部屋の奥から小さな方の熊が声をあげました。「ねえ、ぎんこうごうとうってなに?ぼくも見たい」
 「あなたはもう寝ないといけないでしょう」親熊がたしなめます。「もう外では初霜がおりはじめていたよ」
 「ねむくないってば」
 「いいから、大人しく冬眠しなさい」

 その様子を見た店長は、拍子抜けしたように言いました。「私は銀行強盗のねぐらを見に来たんですが」
 子熊と言い争っていた親熊は店長に向き直りました。

 「強盗だなんてめっそうもない。もう冬眠しなければいけないのに、この子がまったく寝ようとしないものだから、銀行から眠気を融資していただこうとしただけです。我々は毎年冬に眠気を使い切ってしまうものだから、貯蓄用の口座は作っていないんですがね。そうしたらあのアンモナイトが、当行に口座がない人には眠気はお貸しできませんだなんていうものだから、無駄足じゃないか!と少々大きな声は出たかもしれませんがね、そのまま帰ってきましたよ」

 「なんだ、あの銀行員が驚いて大袈裟に言っただけか。それじゃあ見物するものもないね」
 店長はがっかりしながら親熊の困った顔と子熊のかがやく目を見比べました。ランプの灯が親子の黒々とした毛皮を引き立てます。
 せっかくここまで来たのだから、お土産話の一つは持って帰りたいものです。銀行強盗ほど珍しくはないかもしれないが、熊の毛皮もまた、中々お目にかかれるものではありません。そういえば昔耳にしたことがある。熊の毛は軽く、くすっぐたく、それでいて暖かいと。それが本当なのか、少しだけ試してから帰るとするか。そう考えた店長はすたすたと歩み寄り、特に断りもなく子熊に擦り寄りました。未だ雨に濡れたこともない子熊の毛はふわふわと覚束なく、ほのかに蜂蜜と木の実の匂いがしました。思わず胸の奥底からゴロゴロと満足げな音が漏れ出るほどの心地良さです。
 子熊はしばらく不思議そうにねこの店長に体を預けていましたが、店長が喉を低く深く鳴らし続けている間に、少しずつ目がとろんとしてきました。やがて静かに目を閉じたと思うと、こてんと転がり小さな寝息を立て始めます。それを見た親熊は喜びのあまり鼻先で店長をつつき回しました。「寝た!ようやく冬眠してくれましたよ!これは助かりました」

 「はあ」と店長は気の抜けた返事をしながら、鼻先でつつかれたところを毛繕いしました。「お役に立ったなら何より」

 「子供が寝てくれたので、私も安心して冬の眠りにつけそうです」親熊はいそいそと寝支度を始めました。どこからともなく巨大なこたつ布団が引っ張り出され、枕元にはハーブティーやアイマスクまで準備されています。
 「ねこの店長さん、どうもありがとう。そうだ、銀行の方にはご迷惑をおかけしてしまったようなので、よければお詫びにこちらをお渡しください」

 差し出されたのは店長よりもわずかに小さな麻袋でした。
 「我々が長い眠りについている間にも、外の世界では何も変わらず時が流れています。雪が降り、池が凍り、薪が割られ、生き物が生まれたり老いたりしていく。その間、我々の世界は止まったままです。目が覚めることもなければ、お腹が空くこともない。夢さえ見ません。この袋には、世界で流れた時間と、我々が過ごした時間、その差分の時が保管されています。この袋は去年の冬の分です」
 店長は麻袋を受け取り、上等なパジャマに着替えた親熊に見送られながら帰路につきました。背に乗せた袋は軽く、しかしわずかにパチ、パチと泡が弾けるような音が聞こえてきます。
 商店街の空は端から白みはじめ、地球が息を大きく吸ったまま静止したかのように空気が冷たく張り詰めていました。パチ、パチ。店長は一晩の出来事を思い返しながら、背中の袋に思いを馳せます。結局妖精の落とし物は拾えず、おまけに銀行強盗にすら出会えませんでしたが、時間の麻袋とはまた珍しいものを背負うことになりました。パチ、パチ。中に入っている時間は一体どんな匂いがするのでしょう。時間をレジンで固めたイヤリングなんてあったら人気商品になるでしょうか。パチ、パチ。
 広場を横切りながら、店長は唐突に睡魔に襲われました。そういえば昨晩から、眠気を銀行に預けそびれたままだったのです。どうりで頭がずっしりと重く、足取りも幾分か遅いわけです。
 店長は昨夜と同じ郵便ポストに飛び乗り、麻袋をおろしました。少しばかり時間を拝借して、この無音の早朝をぐんと長く延ばしてしまいましょう。その後銀行へ行けば、お店を開ける時間には充分間に合いそうです。店長は麻袋に爪を立て小さな穴から潜り込み、やがて袋からはぐうぐうと寝息が聞こえてきました。

おしまい

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