月にいちどは花を飾って

昔から、文章を書くことが好きだった。
父の影響で、小学校低学年の頃からパソコンを触っていて、当時流行っていた掲示板で文章を書いていたし(太古の黒歴史)、中学生の頃にはブログを書いていた(太古の黒歴史②)。
大学の頃は民法の論述試験で、「文章がうますぎて中身が追いついていない」という講評をもらった。全然褒められてないじゃないか。
社会人になってすぐの頃から、メールの書き方に困ったことはなかった。
つまり、人生のどの場面でもそこそこ使えるぐらい、文章が好きだった。

本当はもっと、生業にしたいぐらい好きなはずだった。
小学校の頃描いた夢は「小説家」や「エッセイスト」だった(群ようこさんやさくらももこさんのエッセイを読んで衝撃を受けたのを覚えている。文章って、面白え!)。
自分の妄想を垂れ流したような小説を書きかけては途中で飽きて、ああ人生でいちどはベストセラーを生み出したい、と思ったものだ。
今思えばそれらが世に出なくて本当によかった。

そんな、そこそこちゃんとしていたはずの「書くこと」という夢が、どうして誰も読まない会議資料やメールに生かされるにとどまったのか。
まあ多分、生きる上でもっと大切な(と思われる)ことが、どんどん増えていったからだろうな。
それは安定であり、世間体であり、親の審査であり、自分のプライドであるのだが。

生きる上での大切なことを、それはそれは大切にしながら生きてきたら、公務員になっていた。
やり甲斐のない仕事というのは存在しないはずなので、人並みの、もしかしたらそれ以上の使命感を持って働いてはいる。
しかし、わたしも30近い女である。
自身のキャリアとは?本当にやりたいこととは?とご多分に洩れず思い悩んでしまった結果、自分探しが趣味になってしまった。
この歳になるまで、自己啓発本の類にほとんど触れたことがなく、そんな奴にとって自分探しのために読むべきとされる本はごまんとあるわけだ。
もちろん極端な言説のものもあるし、それらを全部鵜呑みにするほどピュアではない。でも、たくさんの人に読まれているだけあって、素直に学べることの方が多かった。
読んできた本についてはおいおい書くとして、その中で何回も「自分が本当に楽しいことってなんだろう?」という質問にぶつかった。
本を読んでいるときは幸せだった。ひとりで紅茶を飲んでいるとき、朝の川沿いを散歩しているとき。どれも幸せだし楽しいけれど、本当にこれだけか?もっとなかったか?と考えていた。
「小さい頃好きだった遊びは?」という質問に答えているときに、ハッと気づいた。
わたしは文章を書くことが好きで、ファッションが好きで、綺麗な色が好きで、ごっこ遊びが好きだったんだ!

なんで忘れていたんだろう。
必要なかったからかな。

押入れの奥にしまいこんだ「大好きなこと」を、久しぶりに引っ張り出してみようと、noteを作ってみました。
誰も読まないかもしれないけれど、ひとりでお人形遊びをする感覚で、つらつらと色んなことを語りたいな。

今日のところは、この辺で。
自己紹介がわりまでに。

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