バナナホットケーキ

おじいちゃんは怪我をしたことがきっかけで、以前のように自由気ままに畑仕事をしたり、トラックを運転してパチンコに行くこともなくなった。

退院してからは、リバビリに週3で通ってはいるけれど、ほとんど部屋でベッドの上でテレビを見ている生活だ。

怪我をする前、80を超えてからも、取り憑かれているかのように野菜や花を育てていた。基本的には無口であまり自分のことを話したりはしないが、夕飯の時間、私の席は誕生日席のおじいちゃんの隣で、「今日はトマトを植えたよ。」「じゃがいもがいっぱい取れた。」なんて話を楽しそうにしてくれることが時々合った。私は畑仕事に全く興味はないが、おじいちゃんの嬉しそうな声を聞くと、「それはいつ頃採れるの?」「今度は何を育てるの?」そうやって会話をつなげた。

そういえば、畑にビニールハウスを建ててしまうほど雪割草を育てることにハマっていた時期があった。おじいちゃんが言うには、雪割草にはいろいろな種類があって、育つまではどんな色の、どんな形の花が咲くのか分からないらしい。確か紫色だった気がする。あの花に、おじいちゃんは私の名前をつけてくれたことがあった。妹2人と弟の名前がついた花もあった。私はまだ小学生だったから、自分の名前がついた花なんてただ嬉しくて、嬉しいだけだった。今になって、可愛がってくれていたんだと気づいた。ああ、そうだ、思い出したことがある。色々な可愛い色の雪割草の顔を、水を溜めた小さなお皿に散りばめて私が通っていた小学校に持ってきてくれたことがあった。先生は教室のドアのそばに机を置いてそれを飾ってくれた。

入院中お見舞いに行く度に、おじいちゃんは本当に嬉しそうだった。あまり喋らないおじいちゃんが笑ったときになんとなく感じるあのなんとも言えないあたたかい気持ちは、きょうだい4人の無言の共通認識だ、と思う。

退院してからはまた、以前のようにまたあまり喋らなくなった。いや、入院前よりもさらに喋らなくなった。歩くこともままならず畑仕事ができなくなり、孫と会話をする題材が無くなった、という感じだろうか。笑顔を見ることも減った。

コロナウイルスのおかげで学校へ登校することもアルバイトに行くことも無くなり、まるでニートのような生活ができているおかげで、フルタイムで仕事をしている両親の代わりに、リハビリから帰ってきたおじいちゃんの昼食は私が用意することになった。この二人きりのランチタイムは私にとって(恐らくおじいちゃんにとっても)悩み…とまではいかないが、なんというか、少し気まずい時間だ。なんてったって会話がない。話したくても題材が無い。たいていは、「おかえり、ご飯食べよう」「疲れた?」「飲み物水でいい?」これで終わりだ。それに、今のおじいちゃんにとっては、歩行器がないとうまく歩けないし、お風呂も一人では入れないし、昔おぶっていた孫の助けがないと昼食を準備できないし…というのが申し訳なく感じているようで。

昼食を用意するようになって最初の頃は、朝のお味噌汁の残りを温め、母が作り置きしているお粥をタッパーから取り出して温め、冷蔵庫に良さそうなおかずが残っていればそれを出していた。頑張ってリハビリをして、疲れて帰ってきたときのおじいちゃんの顔は普段よりスッキリした表情をしていて、口角が少し上がっている。なのに毎回代わり映えのない食べ物ばかりであることに、私は申し訳なさを感じていた。

今日もいつものように、施設からの送迎バスに乗って帰ってきた。玄関まで付き添ってくれるお兄さんにこれまたいつものようにお礼を言って、そして、「ご飯食べよう」といつものようにおじいちゃんに声を掛けた。「ああ」と、いつもの声が返ってきた。

いつもはしないけど、犬のロンをハウスから出して、バナナの切れ端をあげるようにおじいちゃんに頼んだ。ロンがいるとおじいちゃんの顔は優しくなる。

「今日はホットケーキ作ったんだよ。」

「ほっか。」

また口角が上がった。目のあたりがクシャッとなった。おじいちゃんは昔から「そうか」を「ほっか」と言う。私の世代はほとんど使わないから分からないけど、おそらく方言なのだと思う。フライパンにあるホットケーキをお皿に移して、誕生日席に持っていった。さっきロンにバナナをあげたのは、ホットケーキにバナナを混ぜたからだ。

「熱いからね。」

「おお、大っきいな。」

「大きい?じゃあ一枚でいい?」

「ああ」

おじいちゃんはいつも、「うん」と言わず「ああ」と言う。

「〇〇、水くれ。」

「水?はいよ。」

大きいと言っていたわりには、一枚ペロッとたいらげていた。

そういえば、名前を呼ばれたのは久しぶりだった。

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