死神の作るメシがうまい
「”切り裂き魔”ではないな」
ホワイトボード一面に貼り付けられた資料を眺めていた長ヶ部警部の重々しい一言は、静かであったが人が寿司詰めになった室内に響き渡った。
今の今まで凶器の違いや、犯行時刻の関連性を議論し合っていた部下達は互いに視線を交わし合った。
長ヶ部警部だけが、”切り裂き魔”と唯一相対し、凶刃に晒されて、なお生き残り、復職を果たした人間に他ならない。
殺し屋専門の殺し屋、刃物の扱いに熟達している。
”切り裂き魔”についてわかっているものはその2点のみ。
思春期の落書きめいた都市伝説的殺人鬼の存在を、長ヶ部警部だけが絶対的に保証していた。
そして、切り裂かれた死体を見れば、名前が真っ先にあがる存在の関与を警部自身が否定した。
沈黙、そして。
「目撃者の証言洗い直せ!」
「犯行現場の写真、もっと無い?」
「鑑識にもう一度、カメラ映像借りてきてー」
「ガイシャの交友関係もう一回洗い直してみるわ」
静寂が横たわっていた室内は、数瞬の沈黙の後に喧噪を取り戻し、煮詰まりきった捜査をもう一度洗い直す意欲をすっかり取り戻していた。
警部本人の心音を除いて。
「どうしてそう思うんですか?」
キャスターを転がして近づいてきた横着な部下の問いに、長ヶ部警部は言葉に詰まった。
一体どこの誰が、【本物】の切り裂き魔が犯行推定時刻には元気に自宅の台所で、彼の夕食を作っていたと証言できるだなんて信じるのか。
伝説の死神が足を洗って、自らの死の誘いから逃れた男の妻に収まっているとおもうだろう。
長ヶ部警部にも説明の出来ない経緯と、運命の女神とやらの悪戯としか言い様がない。
服の上から自分をレーテーの岸辺に追い詰めた古傷を叩き、愛する妻にからかわれるお得意の不器用なウィンクを返した。
長大で複雑極まる上司の馴れ初め話を忙しい部下に聞かせるのは忍びない。
「刑事の勘だ」
【続く】
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