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【備忘録】2021年度 休学記

※この記事は自分の振り返り用です。
「休学中何してたの?」を、色んな方と関わっていく上で明らかにしておきたいなとも思っていたので、公開する形で残すことにします。

自分のあらゆるストーリーをそのままにしているので、読みづらい所多々あります。。あしからずです。。

※春先に書いていたのがずっと作りかけのままだったので、スッキリ完成させて冬投稿です。(笑)

■ワークキャンプ

人とどう関わっていきたいのか?
どんな人を笑顔にして、どんな社会を創りたいのか?

ワークキャンプというもの。説明が難しく、これといって決まった活動のあり方がある訳ではない。
僕が考えるワークキャンプの概念は、究極的には、
「何の関係性もなかった人同士が、共に何かすること」だ。

主に現場での活動が多い。

何かしらの社会の矛盾、課題、問題の凝集点となっている現地に直接赴き、現地の人と労働(ワーク)や共同生活(キャンプ)をしていく。
現場でのワークは、肉体を使うケースが多い。汗をかいたり、苦楽を共にすることで、何の関係性もなかった者同士がなんとも言えない共感に包まれていく。

そして、食べる寝るといった日常生活も共有する。
労働も生活も一緒に過ごすことで、互いの普段の姿、素の一面が見えてくる。

人間性を知り、全てを理解し合うまでいかなくとも、時間とともにだんだんと違いを受け入れ合う。
日常的な、何でもない時間まで共有することで、だんだんお互いの内側・コアな部分が見えてくる。
すると、現場に内在する問題に対して、現地の人やキャンパーがそれぞれどんな想いや考えを持っているのかが見える瞬間がある。

外から人が入り込むことで、中に新たな色が入る。
中の色同士が新たに混ざりあったり、新たな色がこれまでになかった色を生みだしたり。

ワークキャンプは非効率で、時間も労力もかかるけど、だからこそ生まれる人と人の繋がりがある。
社会関係資本なんて言葉があるけど、幸福の享受とワークキャンプにおける私的な繋がりは相関していると思う。

しかし、また、現地に行って何かすることだけがワークキャンプではないということも1年間で学んだ。
現場でなくとも、関係性が築かれていない者同士で一緒のことをする。
カテゴライズされておらず、フラットで、何の関係性もない人同士なら、何をやってもワークキャンプだろう。

「現場主義からの脱却」

問題を現場のみで解決しようとするのではなく、問題そのものを外側(広く言えば社会)に持ち出す。
現場でないところで何かしようとすることも、ワークキャンプの1つのあり方と言えるのではないか。

しかし、コミュニティが既に出来上がっている所は、既成概念が染み付いていることが多い。間接的な環境で間接的な企画をしてみるというのは、外からの空気を取り入れづらい、閉ざされた環境で、似た思想をもった人たちと手を挙げることになるケースが多いように感じる。

そういった偏りのある環境に入り込んで、その人たちと一緒に何かをすることも、意識的にやってきた。これも1つ、ワークキャンプだと思っている。

傍から見たら一見わけの分からないであろうことをつらつらと書いていますが、僕はこんなことをやっています(笑)

ワークキャンプというアプローチで、自分とは違う人たちと沢山出逢うことができた。
昔は物怖じしているところだったけど、今はどんな人とも関わってみたいという気持ちが強くはたらく。
なんなら、自分とは違う人にこそ面白みを感じる。それぞれにらしさや尖りを感じず、均質になろうとする集団には興味がそそられない。

だから、新たな出逢いを求めて現場に行くことが多くなるのが自然だった。しかし、今はだんだん身近な人から広がっていく輪も大切にしたいと思えるようになってきた。ほんの少しづつだけど、繋がりの実感が強くなっている。


様々な場を見てきたり、地の人を感じたりする体験を沢山積まさせていただいた。
さらに、ワークキャンプに取り組んでいるキャンパーや、それに近しい活動をしている人たち、キャンプに理解のある方たちと一緒に過ごす時間を味わうことができた。

1年間ワークキャンプというものを肌で感じ、自分なりに何なのかを深めた。1つの答えなんて存在しないからこそ、自分なりの解を出す。そして、実践的な社会活動だからこそ、形にする所までやる。

目の前の一人一人と丁寧に接することを心がけ、どう人と関わっていきたいのかを模索していた。
そして、次第に社会へのはたらきかけに対する使命感のようなものもじわりじわりと募ってきた。

1年の休学があったからこそ、自分はワークキャンプ臭漂わせて生きたいという気持ちが強くなった。
これからどうなっていくかなんて定かではないけど、すごく色んな方に面倒を見ていただいて、勉強させていただきました。

恩返しになるか分からないけれど、そもそも恩返しという概念で行うのは違うかもしれないけど、将来より良い社会づくりに力を注ぎたいという気持ちです。 

#時系列で振り返り

〇千葉県館山市
FIWC関東のOBOGさんご家族。
具体的に何か分からないけど何かを学びたくて、3回以上行かせていただいた。
ここに来ると「ここまでやらないといけないのか」と、目指す星の高さをまざまざと見せつけてくれる。
ある意味、可能性を見せられて、ズドンと背中を押される。ブレずに、向きたい方に目を向けさせてくれる。あと、なにより子どもたちがかわいい。癒し。


〇明通寺

愛知県愛西市にあるお寺。ハンセン病から、FIWC東海ともう10年以上繋がりがある。
繋がりが途絶え始めていた中、コロナ禍にふらっとおしかけた僕を温かく受け入れて下さった。
コロナでキャンプ機会や交流の場がめっきり無くなった中、お寺の場所を貸してくださり、4月にDAYキャンプをさせていただいた。

語らいの場、繋がりの場として。そして、社会との接点としてFIWCの活動を応援してくださる。
愛知での活動の輪を少しずつ広げてくださる居場所。


〇大分県耶馬渓
堂々たる渓谷に、溢れる自然。
休学して日本の色んな所に行かせてもらったけど、耶馬渓が1番好きな所だった。おじいちゃんになったらここでのんびり暮らしたいな~なんて。いつか住みたい。
FIWC九州のみんなは純粋で、素直で、頑張りやさん。居心地の良すぎる耶馬渓がとにかく自分に合っていた(笑)

〇青森県大間町
FIWC関東のキャンプに混ぜていただいて参加した青森キャンプ。原発問題を扱うということもあって、印象深さでいうと1番だった。

大間原発の傍、小さなログハウスで1人暮らす厚子さん。ログハウスのこじんまりとした空間、とても近くで一緒に生活できたのが純粋に良い時間だった。
日本において、より課題感が強い原発の話。当時は自分がどうキャンプに取り組むかで頭が一杯だったけど、やっぱり厚子さんから聞いた話とかは残っていて。徐々に自分の体に浸透しているのが分かる。これもワークキャンプの面白さだと思う。
でも、これからはもっと「社会」というテーマを自分において、こういった活動に取り組んでいきたいと思う。未熟さに気づけたキャンプでもあった。


〇福岡県福智町

FIWC九州の福智町キャンプ。
ワークキャンプ=海外みたいな風潮が強かったなか、町に関わる方々と繋がりを作って、形にしている国内キャンプ。キャンプって何がなんだか分からんかった僕に色んなヒントを与え続けてくれていると思う。

本当に尊敬するし、見ていてすごく面白いなと思う。規模が大きい訳でなくとも、すごく力強さを感じて。頻度が少なかったり、一過性になりがちなワークキャンプだけど、継続的に、自分たちで考え動き続けることの大切さを見せてくれているのがすごく心強くて。
何かと自分が不安定なときにお世話になっているけど、たまに行くくらいの僕を、包み込んでくれる拠り所。
いつか恩返ししたいな。


〇宮城県気仙沼市唐桑

ここでキャンプをした…という訳ではないけど、思い入れある地としてここに綴っておきます。
夏あたり、拠点を変えてチャレンジ…と思っていた。気仙沼でワークキャンプを企画するというアイデアを現地のOBさん繋がりでにシェアいただいた。タイミングが合わずそれは叶わなかったけど、一時期本当に打つリスモ謳歌と思った。そのチャレンジをしていたら、気仙沼がフィールドになっていたら、きっとものすごく自分の人生に大きな影響を与えていたと思う。そう想像させてくれるくらい、まだ全然知らないけど、きっと、ものすごい人間のエネルギーが宿っている地。日本でも屈指の相当独特で熱いホットプレイスなはず。だからこそ、またこれからもずっと何かを感じに行きたい。


〇年末キャンプ

毎年恒例の年末キャンプ。コロナで去年はできなかった。今年こそは!と思って意気込んでいたら、結局コロナで集まれない人多数。悔しいけど、この爆発できなさがコロナ禍だと参ってしまった。

本当はみんなで集まって色んな語らいをしたかった。けど、むすびの家に行かないと年末じゃないなと思って、行ける人3人で集まりつつ、オンラインを活用して、寂しさの中開催した。

FIWC関西はFIWCの血の色が濃い。僕の標となっている方もFIWC関西のOBさん。何かすごい魂が眠っているのは感じていて、昨年の年末キャンプではFIWC関西のOBOGさんたちとこたつを囲んで話す時間があった。確実に今の自分を形成する要素になっている。


〇こどもキャンプ 夏・冬

「人が集まればキャンプだよ。」
ワークキャンプという概念であらゆる活動を捉えた時、色んな形があると思う。正直ワークキャンプとは何かよくわからなくって、言語化できないむずがゆさがあった。そんなときに、関わった子どもたち。テーマも心持もやることも、自分が知っている学生同士でやるワークキャンプとはまるで違った。だからこそ使う脳みそも神経も違って、違和感もありつつ、子どもたちは自分に色んなヒントを与えてくれた。気づかせてくれるものが多い
こどもキャンプ。もっと子どもになりたい。


〇劇団名古屋さんとの3.11の集い
これも自分にとってはワークキャンプ。別のフィールドに異色な形で関わらせていただくのは、面白い。ずっとお世話になっている劇団名古屋さん。朗読のお誘いを2年続けていただいた。きっとこの先ずっと…ではないけれど、でも確かにこうして混じっていたことは自分の色を表現していくのに繋がっていくはず。自分を受け入れてくださることへの感謝しかありません。


〇和歌山県由良町

ずっと色んな人の繋がりに頼ってばかりだった自分。悶々としていたし、自分の力で動けないの悔しいなぁ…って思っていた。新たなキャンプを開いてみたいと思い、あらゆる県外に飛んでみていた。ひょんなきっかけで出会った由良町の皆さん。温かくて、一緒にいると心を開けるものすごい穏やかな方たち。

ワークキャンプの企画を打診し、3月FIWC東海委員会の国内キャンプとして形にさせていただいた。あれこれ考える自分も自分だけれど、きっかけがある中でとりあえずの形でもやってみて良かった。これからも、自分に大きな気づきを与えてくれたり、迷ったときに何か立ち返らせてくれる場所・人たちなんじゃないかな。本当にいつか何かお返しできるように頑張りたいと思う。


■自己認知、自己理解

自分とは何者なのか?
どうありたいか?どう生きたいのか?

「対話」という手段を用いて、自分の感じていることに敏感になり、心の声を聴く。
今思うと、全然自分のことを理解していなかった。

以前から自己認識能力と呼ばれる、セルフアウェアネス(self-awareness)が重要だと聞いたことがあった。自己を改善していくには、まず自己を認識する所からはじまる。

「自分のことは自分がよく分かっている」なんて思いがちだけど、他者から見た自分の姿をFBしてもらうことで、自分に対する捉え方が広がる。
そこから、更なる自分の理想、可能性の追求が始まる。


〇LIFE DESIGN SCHOOL

休学直前の3月末~7月末まで通ったLIFE DESIGN SCHOOL。
もう1年前になるが、自己探求の仕方があまりにも異質で、通っていた期間はなんだか非日常だった。

毎週1回、長い時は4時間にも及ぶ対話クラス。みんながその時その時に葛藤していることや、ありのままを分かち合う。はぐくむほど心理的安全性が高い場はなかった。
すべてを受容・肯定する文化が根付いていて、世界観がとてつもなく美しい。

「今ここ」に集中し、より良い未来への実現を目指していく過程において、過去・現在の痛みや苦しみ、闇の部分を無視することはできない。
「自分を愛する」ということ。これは教えてくれるものではなく、自分の感覚に落とし込むものだと実感できた。


〇コーチングスクール

自分はもともと感じていることを押し殺すタイプ。
しかし、ロジックより感情を大切にしないと自分らしくいられない。感じているものを丁寧に扱っていかないと、バランスが保たれない。

人生のスタンダードが高めるために、コーチングの応用を。そして、自分の生き方・あり方を納得いくレベルまで探求。自分が思っていた色んな当たり前が崩れていき、新たなスタンダードが出来上がっていった。

自分の存在を受け入れることで、豊かで新たなBeでいられる。
そこに時間を費やしていました。


■知らない世界に。

今思えば迷っていたんだなぁ~と思う。
でも、迷ってるなりに色々手を出したことも今の自分の幅を広げてくれています。

〇興味関心から
・ファシリテーション

RAISE YOUR FLAGというコミュニティで3か月ファシリを学んだ。
ワークショップを自分でつくるすべを学び、体得しにいく。
「非体験者に、体験してもらうこと」「自分の感覚に落とし込むこと」
今後需要は増えていくであろうし、どんな場でも活かせるワークショップ。自由で曖昧な領域をあらゆる視点から学べた。

ファシリテーターという全体を俯瞰して見る第三者の存在。
主観的な考えに引っ張られがちだけど、冷静に客観視するスタンスはあらゆるシーンで活用できる。

・おてつたび

そもそも、色んな所に行くのが大好き。新しい所に行くだけでワクワクする。ワクワクすると、好奇心がそそられる。新たな何かを、新たな人とのつながりを追い求めて。岡山県は湯原温泉と、和歌山県は由良町のみかん農家さんたちのもとで生活した。人と交わるきっかけがそがれていたコロナ禍。ものすごく良いきっかけづくりだった。

〇必要だと思って…
・ビジネス
ビジネススクールにも通った。過去最大の自己投資。でも、コミュニティスタイルが自分には合わなくて、今も途中の段階で一旦保留中。
環境は自分に適していないであろうことは自分でも気づいていたけど、自分で新たな領域を開いていく先に広がる可能性もそぎたくなくて。自分の選択に納得している。


〇とりあえずついて行って…
・高知のお寺で聴聞

今振り返ると本当に不思議なつながりで、不思議な経験。お寺で生まれた住職さんとの繋がりで、高知の聴聞会に自分も参加した。(笑)
ある意味、休学期間で一番面白い体験だったかも。自分の行動に迷っていたり、ついていく人を欲していたり。休学というレールがない中での旅路において、レールを描くことに不安は付きまとう。自分の心のあり処を自分なりにもがいて探していたんだと思う。

■振り返りとこれからの自分

去年の休学からあっという間に4ヶ月が経ちました。
休学中はぐちゃぐちゃとあれこれ経験を積みにかかっていた。
整理できているようでできていなかったり、1つの体験に感情移入しすぎたりして、納得感あるようなまとめができなかったのだけど、最近、ちょっと落ち着いて俯瞰して振り返られるようになりました。

昨年1年を通して今残っているのは、
「より良い社会づくりがしたい」という気持ち。

結局、ワークキャンプにズブズブで、僕は色んな現場に行くのが何より楽しい。そして、何らかの社会に対する動きの渦中に自分がいると、イキイキする。面白い。体験を重ねるごとにどんどん社会と自分の接点が濃くなっている気がして、自分はこの経験を糧に何かしてみたいと思う。
元々社会とか、社会問題とか、そんな言葉に興味がもてなかったからこそ、この変化を面白がれていて、もっと何かしたいという気持ちにさせているのだろう。

自己理解や、他者を愛するために自分がどうしていきたいかを考えることも大切にしたいし、好きだけど、やっぱりそれ以前に、自分が自分のしたいことに熱を注ぎきれていないと余裕がなくなる。不安。自信がなくなる。見失う。

今はややそこが不明確だから、自然と余裕が無くなっている。虚しい話だが、僕は自分が良い状態でないと本当にありたいように人と関われる余白を作れない。
作ろうと心がけても、やっぱり粗が出る。
ありたい人間性でいられない
虚しい。ほんとに虚しい。。けど、しょうがない。今の自分はそんなものなんだと。決して自己否定ではなく。

だから、人との繋がり・関わりを豊かに、共に幸せに生きていくことが最終的に求めていることに違いないけど、そこに行きつくためには、自分がやりたいことや、社会の一員としてどう生きたいかをハッキリさせなければならない。

だから、まずその自分の願いと言動が軌道に合うように色々模索したい。
休学中は自分に模索していたけど、これからは社会との繋がりに模索したい。限られた時間の中で精一杯探したいです。
去年1年「ワークキャンプ」というテーマで探していたけど、まだ腑に落ちてはいない。それも踏まえて、もう少し明確にしたい。

自分にゆとりがもてるだけ自己が確立してきたら、人に優しくなれると思う。日常から丁寧に寄り添えると思う。だから、コーチングや対話を用いて、日常から人を傍で支えることをするのはもう少し先。

今はもう少しがむしゃらに。コロナで溜まりに溜まってきていたものを吐き出して。


夏休みはインドネシアとフィリピンへキャンプに行く。
どちらもハンセン病をテーマに。
どんな体験が待ってる事やら。
終わった後の自分が楽しみで仕方ない。

また、それが終わって、何か見えてきたら言語化していきたいと思います。



          ---2022年春作成---

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