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ハンセン病は「私」で、ワークキャンプは「愛」の話。

僕の人生は、自分の中にある「愛」を育んでいく旅だと思う。

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これは全く断定できる話では無いし、
あくまでも感覚の上でしか論じれないのだけど、
僕はいわゆる「愛着障害」や「アダルトチルドレン」といった類に属する人ではないかと思う。

小さい頃から欲している愛情を十分に得られなかったり、愛情の受け取り方が下手くそで、人からの愛や温かみといったものと、どこか疎遠なまま育ってきた。

今後、この自分とどう生きていきたいか、どうありたいかをもう1段粒度を上げたくて、このタイミングで再度こういった自己のことを綴ってみたい。

それはつまるところ、全くもって過去の自分に悲観的になりたいのではなく、むしろ、今後の人生の歩みの上で、自分のアイデンティティをとても前向きな要素にしたいと願っているからです。

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普段の自分。~今の自分に足りないもの~

今の僕は人と関わる中でやや違和感を抱くときがある。本当に人のこと思いやっているのかな?と、生まれる問い。そこが少しずつ明らかになってきたので言語化します。

どこかテクニックで人と関わっている。
心が伴っていない。

真っ直ぐに言えば、そんな違和感。

人と深く繋がっていきたいという願いがあるのに、それをどこか諦めているところからきている気がする。
「どうせそこまで深く繋がれないよ」とか、
「自分はそんなに愛されないよ」という風にしてしまっているんじゃないかな。

本当は丁寧に1人1人に寄り添っていきたい。けれど、今の自分には余裕をもちきれなくて。
いつもいつも人に丁寧にっていう訳にはいかなくて、すり減っていく感じ。で、結局自分の事で精一杯になっていく。それが悔しい。願いに対しての力不足。

将来に対する漠然とした不安や、自分のやりたいことを優先してしまう自分よがりな自分。
自分が一番大切になってしまうのは、自分的にはあまり好ましくない。

そりゃ当然自分が自分のこと一番大切にしてあげなきゃだけど、人ありきで自分が成り立っているから、自分の周りにいる人のことをいつも大切にできるように、守れるように強くなりたい。
つまり、人のことをいつでもどんなときでも愛し続けられる強さが欲しい。

愛の総エネルギー。
それを保ち、膨らませていく強さ。
そこに意識的になっていきたい。

意識せずとも、根底の愛が満たされていたら、その強さと優しさは滲み出ていくと思うけど、僕はあいにくそういう人ではないと思う。冒頭で書いたように。

コアのコアは穴が空いていて、
寂しくヒューっと風が通り抜ける。
残念ながら、弱くて儚くて脆い。

そんな人間だけど、でも、願い信じ続ければ変わっていけると思っている。人はどのようにでも変わっていけると信じている。

もっと人を愛し続けられる強さが欲しい。
でも、これはすぐに変わるものじゃない。
人生をかけて育んでいくものだと思う。
だから焦ってはいない。
けど、ずっと心に留めておきたいと思う。

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ハンセン病=私で、ワークキャンプ=愛。

僕のマイワールドの話をする。
この記事のタイトルにしたのも、この独自の世界観をもっと人に表現したいと思ったから。

愛の話をした。
自分という人間のアイデンティティを考えたとき、自分の内側の内側は、どこかポッカリと空洞になっていて、寂しさや孤独感が内在している。
普段はその中心を囲んでいる温かさが自分を幸せにさせてくれているから、生活に支障はないし、Happyを感じられるときもたくさん。

でも、やっぱり時々、ごまかしごまかししていると、不安・寂しさ・孤独感に苛まれる瞬間もある。昔はそれが結構しんどくて苦しかった。今は構造的に自分で把握しているから、対処できる。良くも悪くも。

あえて表現するなら、「愛なし君」というモンスターかな。前自分の様々なキャラクターをモンスターとして表現したけど、最近もう1体コアなモンスター君をみっけた!(笑)

僕の心の世界は温かさを好むけど、コアのコアは冷えきってて、ドライで、人にそっけない。
でも、よく考えたらその自分もけっこう好きで。

光も闇も、陰も陽も味わえる自分。
その振れ幅が、人と関わる時にだれも差別せず包含できる自分の愛すべきところち繋がっている。

愛がないから愛を求める。愛で満たしたいと願う。
それが原動力になり、自分を突き動かす。
自分に愛を与えてくれる人のことをとても大切にしたくなる。

タイトルに戻るけど、そんな「愛が欠陥している自分」を「ハンセン病」に投影している気がする。
ハンセン病を患い、人からの愛を蝕まれてしまった側面をもつ人(当然人によると思うが)に、何か引っかかりを覚えるのだろう。

この書き方だと、ハンセン病を患った人=ハンセン病みたいになっちゃうけど、そういうことではなくて、もちろんハンセン病を患った人=人であり、
=自分なんです。

ハンセン病の菌、病気自体は生物だから別に悪いものではなくて、それが悪いものみたいにみなす周りの人たちが悪い。障害の考え方と同じ。

ハンセン病は自分にも含まれている似たエッセンスで、ハンセン病を患った人を自分そのものと置き換えている、という表現が正しいかもしれない。

この辺りのまだ深まりきっていないモヤモヤは時と共に深めていきたいと思う。とりあえずこの仮説を出しときたいと思って書いてます。

そして、そんな心に空いた穴を埋めてくれるのが、ワークキャンプという活動だったんだと感じている。だから、僕はこの活動にハマり、大好きなんだと気づいた。

互いの面を向かい合わせて会うこと。五感、いや自分の全てを研ぎ澄ませて人と関わること。「私とあなた」で愛の循環を織りなすこと。
このワークキャンプの醍醐味に惹かれた。

非効率で労力のいるワークキャンプだけど、それはまさに愛そのものだと。愛のパワーがたくさん。

...

そんなマイワールドをこの先も大切にしていきたくて、今回このようなnoteを綴りました。

まだまだ曖昧なとこも多いけど、ここから進む方向を選択し、決断していくにあたって、自分のもっているものを自分が掴んで、それを人になるべく伝わるように表現することがとても大切だと思っていて。

いかに自分のことを伝えていけるか。
ごまかさず、カッコつけず、自分の素直を、ありのままを人に伝えていけるようになりたいです。

そんな練習の様子にお付き合いいただいて、
ありがとうございました!

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