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BANDやろうぜ!

去年ジムの5周年イベントという名目で15年前に解散した自分のバンドを復活させました。解散から15年経ってまさかまたステージに立てるとも思いませんでした。今回はそんな私の音楽との出会いについて書いていこうかと思います。

X との出会い

あれは小学4年生。地元長万部にあるメチャクチャ大きな図書館『学習文化センター』(ガクブン)にあったレーザーディスク・ビデオコーナーにそれはありました。
ガクブンのことを少しだけ説明すると、長万部の温泉街に位置するところにスポーツセンター(体育館)福祉センター、町営スキー場、青少年会館(柔剣道場)学習文化センターと街の教育機関が集中してる場所にあり、ガクブンの中には音響的にも素晴らしいホールが併設されてます。コンサートや成人式なんかのイベントや映画なんかも上映されてたと思います。
そんなガクブンに休みとあらば出没しておりました。
記憶が正しければ小学校低学年くらいに建った建物で親によく連れてかれた記憶もあります。

あれは小学4年生の夏休み。興味のある映画やビデオはほとんど見尽くした私はふと音楽のページへ。
なんとなく見まわしたところで『破滅に向かって』というなんとも当時の自分からはセンシティブな言葉が。
そうXが1992年に東京ドームで3デイズ行った伝説のライブ映像でした。

完全にやられました。中でもHIDEのパフォーマンスが衝撃すぎて小学4年の私はギターを始めたい!!と親に懇願するも貧乏なうちにはそんな余裕なんてあるはずもなく自分で買うことを決意しました。

耳吊り

ホタテの養殖が盛んな私の地元では小学生から耳吊りというアルバイトが認められています。それはかなりの長さのロープに爪楊枝のようなプラスチック製の両方に返しのついた物をホタテの稚貝につけるというもので、当時は1本完成させると200円ほど、子供の手だと大体1時間に2本〜3本くらいが限界のまあまあ過酷な内職です。朝は早く6時には家を出て7時には作業開始。夕方3時頃まで必死に働きました。(海が時化ると船が沖に出て稚貝を持ってくることができない為休みになる)
1日必死に働いて3千円になるかならないかの仕事を6年生になる春休み中に頑張って貯めました。
そして念願のギターをゲット!
それが音楽というものに自分で触れた第一歩だったと思います。
弾けもしないギターを毎日かき鳴らしてました。

BANDやろうぜ

小学生ながらにギターを始めてる子が自分以外にも3人以上いた気がします。親がいわゆるフォーク世代ですから家にギターが普通にあったらしいです。(ウチにはありません涙)
当時はXがちょうどJAPANと付いた頃でLUNA SEAあたりが流行っててヴィジュアル系全盛期でしたね。TVでの情報がほとんどの時代でしたから音楽番組には目がなかったです。
私には兄や姉がいるわけじゃないので兄弟からの情報がある友達が羨ましかったです。そこで兄のいる友達が持ってたのが宝島社から発行されていた『バンドやろうぜ』という雑誌でした。いろんなアーティストのインタビュー記事はもちろん、使用機材やバンドスコアの載った夢のような雑誌。これに出会ってからはこの本だけは親に頼んで毎月買ってもらってました。

BANDやろうぜ
愛称・略称 バンやろ
ジャンル 音楽
刊行頻度 月刊
発売国 日本の旗 日本
言語 日本語
出版社 JICC出版局・宝島社
姉妹誌 宝島
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『BANDやろうぜ』(バンドやろうぜ)は、1988年から2004年に宝島社から発行されていた音楽雑誌。月刊誌で通称「バンやろ」。

ウィキペディア(Wikipedia)引用

とまあ小学生の頃までをざっと記憶の中から書いてみました。
最近やることが多くてなかなかPCの前にいることがなく前回投稿から少し時間が経ってしまいましたが、飽きたわけではないので笑
更新が減ったら『アイツ忙しいんだな』くらいに思ってくれれば!
ジムの2店舗目も絶賛進行中でしてそっちが落ち着くまで忙しいかな!
倶知安での柔術クラスも話のまま止まってますが必ずやりますんで少々お待ちいただければと思います!!

ではまた次回!!

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