人生の残り時間と、自分の行動と他者への配慮は、人それぞれ
ここ最近、時間というテーマで色々と試行錯誤している。今日もただの日記。
(約 1,900文字の記事です。)
時間は無限じゃない。人はいつか必ず天に還る。なので時間は有限だ。問題なのはその「残り時間」だ。だがもし病気で余命宣告でもされない限り、私も含めて多くの人は「残り時間」を気にせずに生きていると思う。
今回の取り組みのテーマは「残り時間の可視化」だ。これについてTickTickというツールも今まで使ってきたが、それだけではなく、色々なグッズを使って「ある幅で区切られた残り時間」を可視化しつつ、意識を目標時刻に向けるための色々な試行錯誤をしている。
その理由は「自分がなすべきことに集中する」ためだ。もし時間が無限なら、気の向くままに寄り道していいだろう。色んな経験が役に立つ。だが時間は有限だ。残り時間が多ければ寄り道するだろうが、切羽詰まったときにそんな無駄はできない。その分岐点はどこ?残り時間の可視化によってその「自分の判断」を正確にしようと思ったわけ。
資源が限られているからこそ、シビアな判断をする。当たり前。だが自分の人生の残り時間という「絶対に取り戻せない資源」について、これまで自分は本当にシビアに向き合ってきたか?という疑問。これに向き合いつつあるのが最近の私。自問自答と試行錯誤が増えた。なので必然的に、アウトプットが減った。
でも何というか、ある程度の区切りというかゴールが見えた気がした。なのでこうやって執筆活動に復帰している。よちよち歩きかも知れないが、自分としてはしっくりきた気がしたのだ。
あと数日かけて色々と自分の環境整備を進める予定。物理空間での物品管理や、デジタルデータの整理整頓と取捨選択。
要するに、人生の大掃除を始めたのだ。ゴミを捨て、必要な物を「管理できる状態で管理する」というシンプルなものだ。
そうやってとにかく「自分」にフォーカスしている最中だ。なので他人がどうとか、関係ない。他人は好きなようにやればいいと思うし、干渉しない。各自の「残り時間」が違う以上、その視点で話がかみ合わないことはあると思う。
そうやって過ごしていて最近思うことは、他人のアレコレに干渉する暇があるなら「自分が成し遂げたいことに『100%全力投球』したほうがマシ」だと思えたことだ。各自の持ち時間が違うのだ。
ぢゃあ私は何がしたいの💢?という自問自答。そこに答えが出たとき、外からの迷惑な・不快をもたらす他人様に付き合っている時間など1秒もない。
「暇」と思うことは自由だが、それって、自分の人生の残り時間を可視化したときに、本当に「今、暇ですか?」と思う。時間の可視化の重要性を一言で言うと、これだ。だったらやるべきことに集中しなよ!と。そしてもっと重要なことは、それを他人が指摘することではなくて自分で気が付くことだ。
そう、「自覚」がとても重要なのだ。きっかけは他人からの指摘であってもいい。だが最終的に「自覚」を持って自分のこれからの行動を変えようとしなければ、なんにもならない。感慨深い情報に触れて「うんうん」と頷いているだけでは、何も変わらない。この点で言うと「自分の人生の残り時間」という露骨な数字は、自分の自覚を大いに刺激するだろう。
でも残念ながら本当に自分が天に出発する日時や時刻は、私にも分からない😊なのである程度の固まり(時間幅)で区切って「自分の人生の残り時間」を意識するしかない。でもその結果、そのループの繰り返しによって、おぼろげに「真の残り時間」が見えてくるならば、それはもう大成功といっていい。その取り組みについて現在試行錯誤中でっす🚀
さて、明日もがんばろうか!
今回の創作活動は約1時間(累積 約3,726時間)
(998回目のnote更新)
読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊