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じぶんの頭の中の瓶のフタ。

今、自分の頭の中は非常に詰まっているかもしれない。それは直接的な意味ではなく、思考的な意味でもってである。

これを何かに形容するのであれば、おそらく瓶詰めされた様々な形や色がおさめられている金平糖と少し当てはまるのかもしれない。
外見から判断すればその中には、興味を引くほどに色とりどりで思わず目移りしてしまうことだろう。ただ一つだけ、重要な問題点があるのは確かだ。

それは、フタが異常に固すぎて開けにくいことである。

それを思いっきり力を加えて捻ろうとしても火事場の馬鹿力とやらを発揮しても、ほとんど微動だにせず開けることができないというものだ。

見栄えが非常に素晴らしいにも関わらず、そのフタ自体が固すぎるというだけで、商品全体の印象が一気に悪い方向へと変貌してしまう。
それはどこぞの社会の縮図と多少似ている気がするかもしれないが、今はそんなことを悠長に考えている場合ではないのだ。

それこそ気圧がどうのこうのフタが収縮されただの、現実的かつ物理的な問題とはほぼ関係はないのである。

これといって書くお題なるものが尽きてしまったのではない。むしろ有り余っているくらいである。なのに時間が差し迫っている中で、夜の9時半を過ぎても腕が全く動かないままこの体たらくだ。

要素がいくらあったとしても、それらをうまく取り繕うための言葉や文章がなかなか降りてこないのである。だからといってこのまま意味もわからず「素」の状態で出すわけにもいかない。

何度振り返ってみても、自身の語彙力のなさに思わず後ろめたさを感じてしまう今日この頃。
此処noteで様々な記事を見続けていて、素晴らしい文章と言語力で一つの作品としてまとめ上げている優秀な方々が大勢いらっしゃるだけでも、思わずそれらに惚れ惚れせざるを得ない。

彼ら彼女らもはじめから全て上手く出来ていたのではない。其処に行き着くまでに、長い年月をかけて努力と研鑽、そして信頼を積み重ねてきた結果が表れているのだ。

「それにひきかえ、自分だってこんなにも努力しているのに何一つ報われない」からと云って、他人の敷地にある壁にラクガキしていいという道理にはならない。

自分にとって最もらしい正論を述べたとしても、言い方によって唯一の暴力にもなり得ることだろう。けれどそれは相手にとっても、やがて自分にとっても後味の悪い結末を迎えることに変わりはない。

今は誰よりも上手くまとめることができないとしても、常に尊敬の念を持ってまた一つ形にしていけばいい。

人に挫折は付き物だ。転んで擦りむいてしまったら、次はもっとうまく歩けるようにしていったらいい。

自分の心に潜んだ弱さを受け入れて、また前を向けられるように姿勢を正していけばいい。

 

…というのをとっさに思いついたが、正直こんなことを語っている場合じゃない。最優先すべきなのは、今も固くなっている瓶の蓋をなんとしてでも開けなければならない、ということである。

まだ一週間始まったばかりだぞ、自分よ。

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!