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空白と脱力で溶かした一週間の結果

気づけば、東京に戻ってから、丸一週間が経過していた。


この日に至るまで、私は大きいようで小さい一つの悩みに悶えていた。いつものように、此処noteでの執筆活動の最中、日に日に異変を感じるようになった。

それが何かと云うと、うまいことまとめられるような言葉が、どうも浮かんでこなくなってしまったということである。

以前までにいた、実家の個人部屋に篭って綴っていた時と比べ、東京の自宅で綴っている方が、勢力が明らかに衰えていると自覚している。

そして、なぜ腕が落ちているのかという原因を、すぐに気づくことができた。この一週間で私は、ほとんど人と会話するどころか、ろくに声を発していなかったのだ。


このゴールデンウィークの真っ最中に戻って以降、近所のスーパーやコンビニで買い物する以外は何処も出かけず、ずっと家に引きこもっていた。昼寝を含めた睡眠時間が長くなったり、動画の視聴に時間を費やしたりと。

とはいえ、一日三度の食事と適度な筋トレやストレッチは欠かさず行い、なんとか健康的な生活は送っていたつもりである。一人暮らしであるがゆえに、声を出すことの動作を除いて。

こうしてだらだらとした日々が過ぎていく一方で、自分はいったい何がしたくて東京この地に降り立ったのだろうと、繰り返し思い悩むことばかりである。


因みに、今住んでいる近所に知り合いもいなければ、同じマンションの住人で駄弁ったりするような仲の人はいない。良くて、二ヶ月に一回の頻度で行く理容室や、池袋によく通っているとあるお店の人と軽く喋るぐらいしかない。

それ以外は、余程のことがない限り、からっきし全然だ。


思えば地元で仕事している間、誰か一人以上と会話することが常だった。平日は、仲の良いKさんをはじめとした職場の同僚と話しながら、淡々と作業を進めていく。

そして実家に戻っては、食事しながら母と他愛のないことや、YouTubeである芸人のチャンネルを共に見てゲラゲラしていた。

それが、今までの私にとって当たり前に過ごしていた日常であった。だがその生活は、先月をもって途切れてしまった。というよりも、失意に塗れた状況を打破するために自ら絶ち切ったのだ。



思い返せば、此処noteでの執筆を再開するきっかけになったのは、会社からの理不尽にして、一方的な異動で東京から地元へと飛ばされてしまった現在地から、何としてでも打破したいという思いがあったからだ。

ただただ変わり映えのしない日常が、延々と繰り返すだけの場所に置いたままでは、やはり何も進めやしない。故に、この先も私は他人と比べてまともじゃない人間として、烙印を押されるのはすでに目に見えていた。

しかし、その場で自分を奮い立たせるための手段が見つからず、躍起になることすら湧き出てこない。周囲の同年代と比較したら、恥ずかしいことに八方塞がりの状態となっていた。

そんなどうしようもない中で、此処noteでの再起動をはたしてから半年以上経過している。青二才みたく右も左も分からず、鳴かず飛ばずの頃を振り返れば、少しはマシな場所に立っているのかもしれない。


それからというもの、間もなく退職日が迫ってきているにも関わらず、自己を見つめ直すという綺麗事に仕立て上げるようにして、未だに就職活動する気がおこらない。

今も、そしてこの先も誰にどうと言われようと、全くといっても過言ではないくらい、奮い立たせるための熱は上がってこない。たぶんしばらくの間、社会復帰は叶わないかもしれない。


ただこうして、筆に…もとい両腕が走る勢いが戻ったのは、先日、久々に人と会って長々と会話する機会があったからである。

それはまた、どこかで話すことになるかもしれない。ただ、懸念する材料があるとするなら、声を発するきっかけが、ここからしばらく掴めないということだ。

そこから日を置いて、先日までの状態に再び陥る可能性もゼロではない。しまいには、頭から言葉が思い浮かばなくなって、脳だけでなく両腕が右往左往するような状態になってしまうであろう。


再びそうなってしまう前に、空白と脱力で溶けてしまった一週間という時間が、どれほど無駄にして、かつ貴重なものであったか。改めて認識し直すきっかけは、一つくらいは見つけることができたと思うのだ。

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