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【参加に至った経緯】みえ松阪マラソン2023

【みえ松阪マラソンについて】
 三重県における唯一のフルマラソンの大会。2019年まで開催された「松阪シティマラソン(ハーフマラソン)」に代わる大会として2020年に第一回大会が予定されていた。
しかし、コロナ禍による中止が発表され、翌年の2021年においても二年連続の中止となり、第一回大会が開催できない状況が続いた。
遂に2022年。3年越しの想いが実り、初開催。
今年は、昨年に引き続き、二度目の開催となった。
 
【参加に至った経緯】
本大会への参加を決めた理由は二つ。
 
①   私の生まれ故郷である三重県内で開催されること
②   「裸足ランナー」が全国から集うこと
 
①  私の生まれ故郷である三重県内で開催されること
三重県亀山市で生を受けながら、本県とは縁遠かった。
北川家本家は三重県亀山市にあるのだけど、関東(神奈川県横浜市)で育ったこと、父方の両親は関東に、母方の両親は三重県で暮らしていたため、幼少期に母親を亡くし、家庭環境も相まって三重県とは縁遠くなった。
縁遠かった本家と連絡を取り始めたのは2021年。
色々苦労の多かった人生を歩んできた自分自身と向き合う最中だった。
向き合う日々を過ごしていた時のこと、人生がなかなか上手く回らない原因のひとつに、この距離感があるのではないかと思ったのだった。
この時が縁となり、再び三重県にある本家との交流が少しずつ復活し始めた。
 
②  「裸足ランナー」が全国から集うこと
愛知に住む裸足ランナーが声掛けし、本大会に全国から50名にも及ぶ裸足ランナーが集結した。裸足ランニング自体に興味があるわけではなかったが、裸足やマンサンダルで生活する日々を通じて、裸足の持つ力、人間の「生物として可能性」を強く感じていた。そんな共通の想いを持つ彼らとの出会いを楽しみに参加を決意した。
因みに、裸足ランナーの聖地として、4月に茨城県で開催される「かすみがうらマラソン」、11月開催の「福知山マラソン」が裸足ランナー界隈では有名で、それぞれ毎年50名を超える裸足ランナーが出走する(毎年増加中(笑))。
東海地方においても、裸足ランナーの聖地を作りたいという愛知に住むランナーの想いから、本大会に全国から裸足ランナーが集うことになったという経緯がある。
 
【圧倒的な練習不足】
 出場を決めたものの、走ることを仕事にしていたとは思えないくらい走力が低下していた。2019年に自身11回目の「サロマ湖100kmウルトラマラソン」に出場したことを境に記録を追求することをやめ、その後残りかすのような状態で、2019年11月にぐんまマラソンに出場し、ギリギリサブスリー。それ以降、全く走らない日々が続いた。
 2022年5月に小布施に移住し、当年11月に走ることを再開したが、走り続けるというモチベーションは湧かなかった。その後、「長野マラソン」、「サロマ湖100kmウルトラマラソン」に出場したけれど、走ることそのものに情熱が戻ったわけではなかった。
 そのため、今年6月に「サロマ湖100kmウルトラマラソン」を走って以来、約5か月間、11月半ばまで、全く走らない期間が続いていた。
そんな状況の中で約一か月後に迫る「みえ松阪マラソン」。
フルマラソンの酸いも甘さも人一倍知る者として、
「正直、参加しても辛い思いをするだけ」
という思いから、しれっと棄権しようという思いとなっていた。
 
【3週間の突貫工事】
 「やっぱりこの大会には出たい…」
出場することは決意したのが11月末。それはレースの3週間前のこと。
「取り敢えず走らないことには、完走出来るわけない」
という思いから、大会まで毎日走ることを決意する。
突貫工事としても時間がなさすぎるとは分かっていたものの、5km弱のジョギングから始め、距離や時間にとらわれず、走ることを日課にすると決め、ようやく6日前に30kmまで距離が伸ばせるようになった。
ようやく完走の目途が立つところまで辿り着いたような感じだった。
 
【記録は目指さない!】
 今回の目標はあくまでも「完走」。
記録を狙うような練習は出来ていないし、記録を狙うことで完走することが危うくなることは分かっていた。直近のジョギングで走るペースから勘案して、ひとつの目安としては「サブ4(4時間を切ること)」。
※2019年までは、フルマラソンは3時間を切るのが当たり前、100kmマラソンにおいてもフルマラソンの地点での通過タイムは3時間前後だった。
当時の自分からしたら、とんでもなく低い目標設定となるわけだけど、これでも速いくらいという自分自身の脚力の不信頼(笑)を胸に刻み、慎重に歩みを進めることを決意する。

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