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#016 ツマリハ。

今日は、仕事の話と、中学受験の作文の話。

5/9付の日経新聞の中に、人は問題を解決しようとすると「足し算」をする傾向にある、という記事が載っていました。どういうことか、というと、例えば、エッセーを改善するように頼まれると、多くの人は文章を長くした。レシピを改善するように言われると、人々はより多くの材料を投入した、など。改善や問題解決するために、物事を簡略化・簡素化する「引き算」が苦手な人が多いという研究報告です。

私の会社では、このコロナ禍で、休業させている社員向けにオンラインでの研修を行っており、私も何度か講師を務めました。テーマはその時々で違うのですが、ロジカルシンキングの研修の時、ロジカルに考えることができる社員は多いのだが、ロジカルに伝えることができる社員が非常に少ない、という話をしました。実際、おそらく理解できているだろうが、説明が下手でうまく伝わっていない社員は当社だけでなく、大企業でもとても多いように思います。それはロジックのある無しではなく、相手に分かりやすく伝えること=丁寧に話すこと、それは細かく伝えることだと思いこみ、結果、よく分からない、という事態が起こっています。分かりやすく伝えるには、一言でいうと、、、で十分なのです。昨日の『ドラゴン桜』でも似たようなことを桜木先生は言ってましたね。

さて、中学受験の話です。小6の長男は、作文をわりと得意としているほうですが、分かりやすく伝えたい、の気持ちに加えて、字数を増やしたい、という下心があるためか、文章が長く、冗長的であることが多いようです、これを改善するため、簡素な文章を書く、という訓練を日常生活の中で行っています。何をやっているか、というと、まずは主語と述語だけの文章を話させる、そのあと、目的語を付け加えて、そのあと、形容詞など、文章の輪郭を細かくしていきます。これ以上やると、文章として、お化粧しすぎだというところが分かるように、アレって自分で気が付けるように、この流れで会話の文章を作らせています。一気に、完璧な一文が作れる能力があったとしても、主語+述語の簡素な文章か作りはじめます。何さえ言えば、十分なのかを知るには、とても良い方法です。

この方法は、私が英語の学習をする中で、身に付けた方法で、母国語になると、なまじ、すぐに文章が作れてしまうために、だらだらとして分かりにくいことを言ってしまいます。彼はまだ11年弱しか日本語に触れていない日本語初心者なので、今のうちに、多言語と同じように、中身は薄くても、基本的で簡素化された文構成を身に付け、話すことで、だいぶ、言っていることが理解できるようになってきました。

彼が日本語をマスターする頃には、きっと明るい未来が待っているはずです。

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